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峠一平さん

履けなくなった
パンツ

21.03.18
HIROSHIMA

広島市内の中心部で美容室「Laff hair design」を営んでいた峠一平さんは、2016年、田舎といって差し支えない北広島町吉木に住まいごと引っ越し、家の隣に「峠の美容室 わらふ」をオープンさせた。美容師である妻の優さんと三人の子どもの五人住まい。広島出身で東京でも働き、ロンドンにも留学した峠さんが、なぜ北広島に移り住んだのか。ループケアをするパンツが履けなくなった理由も、移住にあった。

--天パがいやで自分で髪を切っていた

「妻と僕は高校の同級生なんです。専門学校も同じ学校なのですが、僕は通信制で、彼女は普通に通っていたので実際は別々ですね。美容師になりたいと思ったのは、中学生の頃。僕の髪って天パなんですけど、当時はそれがコンプレックスというか嫌で、自分で髪を切ったりしていたんです。高校に入って『その髪、どこでパーマかけてるの』と友だちに聞かれて、『これ地毛なんだよね』『いいじゃん。そしたら俺の髪も切ってよ』とお願いされて、人の髪も切り始めました。そうしたらお金の代わりにお礼としておごってくれたりして、『あ、これ商売にして食っていけるかもしれない』と思うようになりました。」

そう思った峠さんの行動は早かった。多くの人が高校卒業後、専門学校を経て美容室で働き始めるところを、早く美容院の現場を見たいと、高校生ながら美容室のアルバイト募集に連絡したのだ。

「電話したら『おいくつですか?』『高校生です』『高校生はちょっと』と言われたんですが、タダ働きでもいいので現場を見たいんですと話して、『じゃあ今度一度来てみる?』と。実際行って話をしたら、タダ働きもあれだし時給500円でよければと、雇ってもらうことができました」

アットホームな美容院のオーナーとしては、従業員というよりも弟子入りのような感じだったのかもしれない。

『今は美容師免許がないとお客様に触ることもできないんですが、当時はまだ美容師の免許問題が厳しくなる前で、シャンプーやドライヤーをはじめ、いろいろ教えてもらってやっていました』

--経験が仇となる

通信教育は普通よりも1年多い3年制だったため、同級生に負けたくなかった峠さんは、同じ年に卒業できるよう高校3年の頃から通信に通い始める。峠さんが美容師への道を急ぐ理由は、家庭の事情も関係していた。

「母子家庭だったこともあって学費を抑えたくて、通信制はかなり安かったんです。通信制でも技術は早く働き始めて現場で覚えればいいやって。早く自立したくて、生き急いでいたかもしれません」

金銭的に問題がなければ高校卒業後、東京の専門学校に行きたかったという。卒業後、晴れて上京した峠さんは、カットに革新をもたらした美容師として知られる植村隆博さん(2013年に癌により逝去)のサロンDADA cubicに入店する。だが、高校時代から働いていた峠さんのキャリアが必ずしもいい方向に働いたわけでなかった。

「むしろ経験が邪魔になったところがありました。当時のDADAは中途を取らないという方針の中、異例で取ってもらったんです。みな新卒の中、変に経験のある地方から来た新人がいるという状況。しかも、ちょっと植村さんからはおもしろがってもらっていたところもあって、馴染みにくくなっていました。結果1年くらいで病んでしまって広島に帰ることに。東京時代は不完全燃焼でした」

ハングリーにがんばってきたことが思わぬ方向に影響を及ぼしていた。

「たくさんスタッフがいて賑やかで、華やかな世界にいるはずなのになぜこんなに孤独なのか、と。接客でラーメンの話をしていたら、ここは表参道なんだから話す内容を考えてとか言われて。広島にいた頃から憧れた世界は何かが違った。植村さんは泥臭くても芋臭くてもいいんだよって言ってくれたんですけど、うまくいかなかった」

その後、広島のかつて働いていた美容院に戻る。戻っていいのかという自問自答、葛藤があった峠さんは、あぁロンドンに行ってみたいなと思い始めた。挫折を味わった東京を超える何かを課したいと思った峠さんは、ロンドンへ渡る。

--ロンドン留学、帰国、独立

美容院を辞め、お金を貯めるために夜は居酒屋、昼はカレー屋で働きはじめた。居酒屋さんのオーナーに、お金を貯めてロンドンに行きたいのでいつかは辞めることになると思いますと話していたら、辞める時にオーナーが餞別をくれたりもしたという。

「アカデミーでもサロンでもあるロンドンのヴィダルサスーンに1年半留学しました。最初の半年は語学学校に通い、サロンのなかで実践的に学んで、最後の半年はヘアメイクとして、スタイリストやカメラマンと作品作りをしていました。しがらみのない自由を知った感じがします」

今のパートナーである優さんとは、ロンドンに行く前から付き合い始めていた。他に好きな人ができたわけでもないのに徐々に疎遠な感じにもなり、ロンドンから帰ったら東京に行くと思うと話しても、彼女は「ふーん」と答えるような状況だったという。優さんは優さんで、一人前のスタイリストになるためにがんばっていた。

「帰国して東京の美容院に作品のブックを送ったけど連絡がもらえず、次に応募した美容院で、いづれは自分でお店を出したいと伝えたら、今から中途で入ってもうちではイチから始めてもらうことになるから将来のビジョンがあるなら、フリーの面貸しサロンに入ってそこでお客さんを付けたほうがいいんじゃない?って。たしかにと」

広島に戻り、優さんとの距離が戻った峠さんは、結婚をして、子どもがほしいなと思うようになった。

「だったら店をやらないといけない、まずは広島の面貸しサロンでお客さんがつくまでがんばろうと。8ヶ月くらい勤めた11月頃、社長に4月頃辞めようと思っていますと伝えてたら、お客を持っていかれるのは困るから辞めるならすぐ辞めてくれと。不動産を探さなきゃと思って、本通りを歩いていたら右手に2階にテナント募集と書かれたすごくかわいいビルがあって、すぐ電話したらちょうど美容室を入れたいオーナーさんなんですと。オーナーさんは77歳の女性で、当時25歳の僕に「やる気はあるの?」「あります!」と。その頃、妻のお腹には赤ちゃんがいたこともあって、家賃もサービスしてかなり安くしてくれて、保証金も減らしてくれたりとかなり助けてくれました」

折しもインターネットやフェイスブックが流行ってきて、ネットで名前を検索すれば出てくる時代。峠一平という名前の珍しさもあり、見つけて来てくれるお客さんも多かった。サロンにつくというよりは人につくという時代になってきたことが幸いした。

--災害とガンボジアから学んだこと

東京に行き、ロンドンに行き、出店や妊娠、結婚などが一気に進んでいった。一平さんだけが動き続けているような状況に思えるのだが、優さんはどうだったのだろうか。

「僕としては迷っている暇はない、結婚だ!みたいな感じで、すぐに返事がもらえなくて、結婚しようと僕が告白しているのに何迷ってるの?みたいな。実に自分勝手」

優さんにとっては、ようやくスタイリストになって美容師としてこれからというタイミングだった。

「彼女が働いていたお店のオーナーから『一度会いに来い』みたいな連絡をもらって、俺が育てて、やっとこれからデビューする愛弟子なのに、結婚して店をやろうとしているらしいけど、ちゃんとやっていけるのか直接数字を示して教えてやると。妻にとってはお父さんとお母さんみたいな存在で、心配をしてくれていたんです。『まず自分だけでお店をやって、奥さんはうちでお給料もらえるかたちで働いて、収入源を確保しておいたほうがいい』と。それは実際ありがたいお話でした。オープンしてみたら最初の二ヶ月ほどは心配もありましたけど、右肩上がりで進んでいきました。妻は長男を出産して、1年の育休を取った後一緒に働き始めました」

お花屋さんだった1階が空き、上下で借りてつなげるなど、順調に売上を伸ばしていったが、2014年、広島の緑井と八木で土砂災害が発生。住んでいる地域は大変な被害に会い、峠さんの車も廃車になった。

「そんな状況を経験して、いつ死んでもおかしくないと思ったんです。次自分が何をしたいかなと考えた時、当時ボランティアに行っていたカンボジアに美容専門学校を作りたい、手に職をつけることで貧困をなくしていきたいと考えたんです。実際にカンボジアに行ってみたら、頭の中で鐘がなったというか。途上国にいって何かしてあげたいというのは上目線だったんだなと。カンボジアは逆にかっこいいと思ったんです。現地のサロンでは、ちゃんとしたお店でも赤ちゃんをおんぶしながらやっていたりして、うわかっこいい!って。自分が店を出した時は、アットホーム感は出しつつも生活感は出さないほうがかっこいいと思ってやっていたわけです。かっこつけていた裏では、3人目の子どもが妻のお腹のなかにいる時期、二人の子どもに熱が出ても仕事と家は線引していました。お客さんにそういう雰囲気を出したくないと」

いつの間にか、青山でラーメンの話をして怒られたことと同じようなことを自分もしてしまっていた。

「いつの間にか自分もそうなっていたんです。途上国に専門学校を作りたいというのも先進国的発想で、現地には現地なりのスタイルがある。大きな話になりますが、資本主義が行き着けば行き着くほど自然破壊も生まれるし、貧困も生まれる。根本的な解決は何かと考えたわけです、カンボジアで。貧困や格差をなくそうとしたら、まずは自分の暮らしやライフスタイルを資本主義のシステムに乗せないことなんじゃないか。日本に帰ってきて、日本でできる社会貢献を考えたら、空き家問題だと。小さな縮図として考えて、広島市が先進国だったらここの中山間地域は一種の後進国に当たると思ったんです。みんながみんな先進国のシステム下にいなくてもいいんじゃないか。自分の店を田舎に移して、そっちにお客さんを引っ張ってきて、経済圏を小さく小さくしていこうと。そこで空き家バンクで古い家を見つけて、なるべくあるものを利用して生活しようと思って、今に至ります」

売上が右肩上がりに上がり続ける仕組みをこれからも続けていけるのか。人間は自然災害があれば、どれだけお金を持っていても使えないことがある。大切なのは家族5人を守ることだと峠さんは考えた。水がある、土がある、火が熾せる、そして食っていける環境があれば十分なんじゃないかと。

--「付いていくしかない」

峠さんはカンボジアの体験を通して感じたことを、パートナーである優さんはどんな温度感で見つめていたのだろうか。

「毎日ずっと何かしら話しをしていました。だから、こういうことをやりたいんだろうなと思ってくれていたとは思うんです。彼女の手の上で転がされていたんだと思いますけど、いざ事を起こすというタイミングで話したら『やりたいと思ったらやる人じゃけ付いていくしかない』と」

広島市内では家賃45万を払って光熱費やスタッフの人件費を払って、そのお金を生み出すために働く時間を長くしていた。

「家のことは全然できてなくて、保育園の運動会も行ったことがないし、送り迎えもやっていなければ、家事もやっていませんでした。北広島に来て、この店と家をクラウドファンディングで協力してもらいながら200万円で買って修理して、家賃をなくすことで、出ていくお金を減らせたら労働時間を減らせるし、さらに家を隣接させれば家のこともできる。そういう発想で進めて、いまではご飯を作ったり子どもの送り迎えをしたり、学校行事に参加したりできるようになった。彼女もプライベートな時間をつくれるようになりました」

資本主義という大きな問題と捉えて行動に移したことで、身近なことも同時に解決できるようになっていた。

「これまでやってきたようなモードやアヴァンギャルドで飾るんじゃなく、日常的なこと、目に見えない内面がより良くなっていくことが大切じゃないかなと。外見をきれいするより内面をきれいする美容師になりたいという思いはお店立ち上げから変わっていなくて、外見をいくらきれいにできたとしても、悩んでいたり、気分が変わらない状態では表面ににじみ出てしまう。お客さんとコミュニケーションをして、髪の毛を変えるということだけじゃなく気分を変えること。何回も同じ話をするおばあちゃんの話を聞いたり。発信するばかりじゃなくて、受信すること。髪を切りに来たつもりが切らずに帰るということもありますから(笑)」

--移住が体を変えた

ループケアするものVISVIMのパンツは、広島市内のお店を拡張した28歳頃に買ったもの。

「北広島に来る前まではしっかり履いていました。こっちに来て体型が変わったんです。太ったというわけじゃなく、ガリガリだった身体が野良仕事で体を使うようになって、よく食べるしで筋肉がついたんです。それで入らなくなってしまった。土もつきますし、汚れも目立つしで、選ぶ服も変わりましたね。




--峠一平さんのジッパーシェルフが完成しました

峠一平さんの履けなくなったパンツをループケアし、ジッパーシェルフに仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

峠一平

美容師

1983年広島生まれ
16歳で美容師の世界に飛び込み修行を経て東京そしてロンドンで美容師としての腕を磨く。
帰国後は、地元広島で独立し店舗を拡張していくが2019年の豪雨災害をきっかけに生き方を見直し北広島の空き家を改修した美容室を開業。
移住と新しい働き方の形を示している。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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