おりでちせさん
と
捨てられなかった
古着のシルクスカート
20.01.18
HIROSHIMA
夫婦で島に移住したイラストレーターのおりでちせさん。おりでさんは自分の絵を使った作品を扱うお店をやりながら作家として活動し、旦那さんは太刀魚漁のために船で海へと向かう毎日。瀬戸内の海に浮かぶ島ぐらしを始めたのは、旦那さんの大胆な行動だった。
--何の相談もなく決めてきた島への移住
広島に生まれたおりでさんが豊島に引っ越したのは2016年。旦那さんの満さんが1年先に移り住んでおり、後からそこに合流した。島に移住したいという思いはおりでさん自身のものだったが、最初の行動は旦那さんひとりの決断だった。
「広島市内に住んでいる頃、仕事場から河川敷を自転車で通って家に帰っていたんですけど、海の向こうに島が見えるんです。いい眺めだなと思って。あと香川の芸術祭に遊びに行ったときに、島ってすごくいいなと。でも芸術祭はすごく人が多くて、私はこのにぎやかな島より、地元の人しかいない静かな風景のほうが好きだなって想像していたんです。そういうことがちょっとずつ重なって、海に憧れたというか、田舎に憧れたというか」
おりでさんが島や海への憧れを口にした後、旦那さんは移住の経緯を話してくれた。
「結婚する前でしたが、そんなことを言っていたのは知っていました。僕は、移住前、飲食関係のサラリーマンをしていたんですが、典型的なブラック企業でした。転職先を探していたら、インターネットで漁師の募集と研修の案内を見つけて。そういえば島に住みたいとか言ってたなとも思い、妻には何も相談せずに決めて申し込んでいました。もう行くんだけどって」
まさか相談をせずに決めたことだというから驚いた。
「魚釣りとか全く興味はなかったんですが、漁師だったら独立ができて、自分が頑張ったら頑張った分だけ稼ぐことができる、みたいないいことがたくさん書いてあったんです(笑)。これしかない。しかも、島だしと」
豊島は太刀魚漁で知られている。漁獲量は年々減っているというが、80代でまだまだ現役の漁師もいる。方言も聞き取るのが難しく、「『われ、なんしよんだら』とか、ヤクザ映画に出てくるような言葉が日常で、笑ってるけど怒られとんかなと思ったら普通のあいさつだった(笑)」こともある。
「夫が先に来てみんなと仲良くなっていたので、私が来た時も受け入れてくれました。島にとっても漁師の仕事を継ぐために来ているので、みんなすごくよくしてくれる。縁もゆかりもないところに来てしまったわけですけど、せっかくなんでやっぱり楽しみたいなと思っていました。イラストレーターである私はどこにいても仕事ができる。そもそも広島市内にいたころも、地元のお仕事はほとんどなくて、ネット経由で東京のお仕事をしていたんです。
--それぞれがやりたいこと、やるべきこと
島に住むことも急だったはずだが、漁師になると聞いた時はどうだったのだろうか。
「私は賛成でした。自分で選んだんだから自分でなんとかするだろうって。私も自分の仕事、自分のやりたいことがあって主婦をしたいわけじゃないし、パートナーの仕事や収入に何かあっても自分がどうにかできればいいかって感じでしたね」
旦那さんが相談なく決めることができたのは、おりでさんのこうした自分は自分としてやるべきことをやるという性格がわかっていたからなのだと思う。古臭い夫婦という生き方ではなく、ふたりの他人がそれぞれの選択をしながら共に暮すこと。この二人にはその絶妙なバランスが無意識にあるように見えた。
「夫だけが島に移ったタイミングでは、結婚を1年後にしようとかそんな話もしていなくて、たまたま1年後に結婚して私も移り住むことになりました。結婚に対しても、なんかこうしたいとかがなくて。例えば結婚式を挙げたいとか。なんなら一緒に住んでても、名字が違ったままでも別に気にならないとも思っていましたね」
婚姻届を出すことによって制度として誰かから認められたいわけではなかった。結果婚姻届は提出したが、旦那さんがおりでさんの籍に入り、折出姓を名乗ることになった。
「彼女は自分の名前で仕事をしていたので、彼女が変える必要はないなと思って。僕は立中(たつなか)という名字だったんですが、変わってもいいよみたいなすごい軽いノリで決めました。しかも婚姻届を出すときに保証人が必要なのを知らなくて、出しに行った役所の知り合いに『ちょっとあんた書いて』って頼んで書いてもらったんですよ(笑)」
「そうだったね。挙式もしていないので、彼の実家にも挨拶に行っていなくて、家族に初めて会ったのが、お母さんが亡くなったお葬式の時でした。彼と家族の仲が悪いわけでも、私と折り合いが悪いわけでもないんですけど。一方でわたしの実家の方が近いので、うちにはよく遊びに行っています」
--絵を描くことが趣味だと思われないために
おりでさんが豊島で開いているアトリエ兼ショップ「Shimau.」には、自身の絵や焼き物作品がたくさん並んでいる。元々イラストレーターとして仕事を始めたのは、会社に務めながらだった。
「イラストレーターとして初めてお金をもらったのは大学の時でした。美術系の大学に行っていたので、イラストレーションを仕事にしたいなという気持ちがあって、でもいきなり食ってはいけないのでデザイン系の会社に就職はしました。会社務めをしながらイラストの仕事を受けたり、イベントに出て作品を売ったりするのが楽しくて、でもだんだん忙しくなってきて辞めたいなと思ったんですけど、独立するんで辞めますってすごく生意気だと思って言い出せなかったんです。そうしたら移住の話になって、これを機に辞めようと。だから完全にフリーになったのはこっちに来てからです」
焼き物を始めたのも、イラストだけでは食べていけないだろうと思ったからだったが、予想以上にいい反応があり、今では半々くらいまで作品の比率は変わってきた。
「絵は小さい頃からずっと描いていて、仕事にしたいと思っていました。今でこそ作家さんのマルシェとかがたくさんありますけど、当時は全然なくて、自分たちで企画して場所を借りたりしていました。やはり絵はなかなか売れなくて、これは絵だけじゃ食えないなと、陶芸が好きで大学でサークルとしても趣味的にやっていたので、作ってみたらなぜかそれがたくさん売れてしまった」
豊島に移住して意外だったのは地元から絵の依頼がいくつもあったことだった。元々広島で仕事をすることも少なかったおりでさんにとってはうれしい誤算だった。
「こっちに来てから、呉の人から地図を作ってほしいとか、地域おこし的なことにまつわる絵のご依頼をいただくことが増えました。地域おこし協力隊の方ができるだけ地元の作家さんたちと一緒に何かをつくって、盛り上げたいという思いがあるようで、私が移住してきたときに紹介してもらったりしたことで繋がっていきました」
絵画的なものからいわゆるイラストレーション的なものまであるが、モチーフは生き物が多い。魚やタコ、ザリガニなどの水の生き物がたくさん描かれ、鳥や植物、虫もいる。
「中学までは漫画やアニメ、映画の世界が好きで、コミック系の絵を描いていました。美術科のある高校に入って初めてデッサンを教わって美術の世界を勉強して、絵が変わっていきました。生き物モチーフについては、こっちに来て生きてる状態のものを見る機会がすごく増えたので、モチーフに選びやすくなってよく描いてます。虫は子どもの頃は嫌いだったんです。いま畑もやっていて、そういうのをやると、どうしても虫がついてくる。それもあって平気になったというか、好きだなと思えるようになりましたね」
お店は金土日の週末だけ空いている。1階はお店だが、2階はおりでさんのアトリエになっており、普段は2階で作品を制作しているという。
「自宅の前まで車が入れなくて、作品の搬入搬出を考えると別で場所を借りた方がいいと思って、場所を探していたんです。決めた物件が2階建てだったこともあって、店番をしなくちゃいけないからお店はあまり乗り気じゃなかったんですが、閉鎖的なアトリエだけだと地元の人に私が何をしている人か分からないんですよね。旦那は漁師だけど、手伝わずに何をしてるの?って。絵を描いてますと言うと趣味だと思われる(笑)。なので、1階を誰でも入れるお店みたいにして、買わなくていいから何をやってるかわかるようにしてみたんです」
--着ていないけど捨てられないもの
ループケアするのは大学時代に買ったというシルクのスカート。
「あまり洋服を買う人間ではなくて、一方で大学が美大だったのでおしゃれな人が多かったんです。古着を着た先輩を見て、すごいおしゃれでいいなと思って。それで生まれて初めて古着屋さんに行って買ったのが、このスカートなんです」
おしゃれに目覚めた1着ということ。
「デザインしたりイラストを描いたりするので、柄が好きなんです。なのでついそういう古着の不思議な柄の魅力にハマって、大学時代は。デザインの参考にしたり、テキスタイルデザイナーに憧れたりして。今もたまに古着を買ったりするんですけど、このスカートは大学を卒業してからそんなに着ていないんです。10年ぐらいちゃんと履いていないにも関わらず、ずっと捨てられない1着として残ってきました。荷物を減らした島への移住のときも捨てずに持ってきていました」。
好きな柄をいつか何かに使うことがあるのではないかという思いで持ち続けてきた。
「物持ちはいいんです。でもわりと物には執着がないので、結構捨てられるはずなんですけど」
大学卒業以来着ていないため、卒業後に出会った旦那さんは、このスカートを履いている姿を見ていない。
「この写真は友だちと学園祭でライブペインティングをした時の写真で、この頃ちょうど着ていました。初めて見たよね? 付き合っている時も、会社で仕事をして作品も作ってと忙しかったし、彼も彼でブラック企業で忙殺されていたので、デートも月1とかも普通でした。だから7年ぐらい付き合って結婚でしたけど、見ていないとしても合っている回数が少ないというのもあるかもしれません(笑)」
--ナンパした
漁で真っ黒に日焼けした旦那さんと室内で制作に勤しむおりでさん。真逆のように見える二人はそもそもどこで出会ったのか不思議だった。
「会社勤めの時に、僕が彼女の会社に名刺をお願いしていて、その時にナンパしたんです」
「私がつくった名刺をお渡しして、一度はそれで帰ったんです。でもなぜか戻って来て、あ、しまった、名刺に不備があったんだと思ったら、『連絡ください』と言われて連絡先を渡され……、その後、私が連絡してしまった(笑)」
おりでさんが連絡したのは3日後だったという。旦那さんもどうせ駄目だったら会うことはないからと腹をくくっていたそうだ。
「なんかよさそうとは思ったんですけど、取引先の人とそういう関係になるのやっぱりどうだろうという、常識みたいなものが邪魔をして、ちょっと間を置いてしまった。
やってみるものだ。何があるかわからない。
「そう、やってみるもんです」
--おりでちせさんのジッパーシェルフが完成しました
おりでちせさんの古着のシルクスカートをループケアし、ジッパーシェルフに仕立て直しました。
--生まれ変わったジッパーシェルフを手にしたおりでさんからうれしい感想が届きました
シェルフはいつも目に入るリビングに
置いておこうかなと思っていたのですが、
やっぱり収納機能を考えて
雑多になりがちな自宅のPCデスクに置くことにしました。
しばらく着ていない服でしたが、
「これからまたよろしく」という気持ちです。
ちょっと不思議な感覚ですね。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
おりでちせ
イラストレーター
1986年広島生まれ
子供のころから絵を描くことが好きで、高校と大学は美術を専攻する。
大学卒業後は、一般企業に就職し、傍らでイラストやデザインの時間を重ねる。
2017年の結婚を機に、瀬戸内海の豊島に移り住み、アトリエショップ「Simau.」を
オープン。おだやかな島の暮らしと定期的な個展の開催にも取り組んでいる。
「Shimau.」
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
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