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森田麻水美さん

ウィリアム・モリスの
ファブリック

19.09.08
HIROSHIMA

広島のオリエンタルホテル広島で行われていた展覧会は、広島でこんなラインナップの展覧会が観られるのかと驚くほどクオリティの高いものばかりだった。その展覧会を企画運営していたのが森田麻水美さん。銀行員からギャラリー勤務へと移った意外なキャリアに見えるかもしれないが、森田さんが培ってきた大切な人間関係が、森田さん自身の人生の分岐点を作っていた。

--銀行の振込先でヴァーチャルトリップ

アートやデザインの展示を企画するキュレーターであり、ライブなどの企画製作も行っている森田麻水美さん。取材で訪れた森田さんの自宅にはたくさんの絵やオブジェ、写真、ポスターが目に飛び込んできた。

「オリエンタルホテル広島というホテルにアートギャラリーがあり、そこの企画運営を2010年から8年ほどやっていました。今は独立して、そのギャラリー以外に音楽や食のイベントの企画や宮島のホテルのPRなどもやっています。なんでも屋です(笑)」


79年生まれ、広島生まれ広島育ち。美大に入った大学時代は関西で過ごし、卒業後広島に戻ってきた。今の仕事と繋がる美術系の仕事かと思いきや、自分でも予想外だったというほど真逆と言ってもいい仕事に就いていた。

「広島に戻ってきたのは銀行で働くためでした。ざっくり言えば親のコネでした。本当はそのまま大学院に行きたかったんですけど、経済的な理由もあってそれは無理だと言われ、取りあえず銀行の入社試験を受けに行けと言われ、二日酔いのまま受かるつもりなく受けました。失敗して、駄目だったからやっぱり大学院に行きたいというシナリオを思い描いていたのですが、受かってしまいました。親のコネは思った以上に強かったみたいですね(笑)。結果、銀行には丸4年お世話になりました。同期の中で私が一番早く辞めるだろうと思っていたのですが、働いてみたら楽しみを見いだせて、例えば、小切手をずっと見たり、算を取ったり(ずっと足し算をしていくこと)。あと振り込みの時、〇〇銀行〇〇支店とありますよね。あの土地土地の名前を見ながら、ひとりでヴァーチャルトリップをしていました」

何とも自由な脳内。他の人からすれば真面目に仕事をしていると思っていたら、頭の中では自由に羽根を伸ばしていたり、空想の世界に入っていた。

「銀行の業務改善も好きで、本部に提案してから私のいた支店でテストをして、有効性が証明されて全店展開した事例もありました。ただの支店業務とは違うことをたまたまやらせてもらえる環境にあったりして、ラッキーでした。銀行では、社会不適合人間だった私をまっとうな社会人にしてくれました。本当にお世話になりました」

--のべ131回、200人以上が展示

4年が経ち、これからの自分を思い描いた森田さんは、銀行員としての自分を浮かべることはできなかった。銀行で働きながらも絵を描き続けていた森田さんは、やはりアートの世界に行きたいと考えていた。

「そんな折、ギャラリーのスタッフとして働かないかと声を掛けてもらえたんです。ボスが1人と私だけの小さな画廊で、企画展中心のギャラリー業務全般をそこで覚えて、自分の展示もやらせてもらいました。もう一軒レンタルメインのギャラリーで働いた後、ホテルで勤務し始めました。」

オリエンタルホテルのコンセプト及び内装のデザインを手掛けた故インテリアデザイナー内田繁さんが中心となり運営が始まったギャラリーは、森田さんが手掛けるようになった会も含め、のべ131回、200人以上の方が展示したそうだ。内田さんを始め、深澤直人や宇野亜喜良、浅葉克己、原研哉、安藤雅信、松尾たいこ、ミナ・ペルホネンやオランダのdroogまでが展示を行い、地方都市でこれだけの充実したラインナップはそうそう実現できるものではない。

「私がホテルに入社した頃は、内田デザイン研究所の方がギャラリーの企画をいろいろ組んでくれていて、ギャラリーの経験者として自分も企画したいと話したら、内田さんが、『地元が力を付けていって自主的に運営できることはいいことだ』と言ってくれて、まずは半分ずつ担当して、最後の方はほとんど私が企画運営していました」

ところが、2018年1月にギャラリーは閉じられた。

--オスなのにメスとして育てられた猫

「私はその年の5月末にホテルを退職しました。そうそう、実はうちの猫のハナちゃんの元飼い主、内田さんなんです。いま座っている椅子も内田さんの椅子です。ハナちゃんはオスなんですが、内田さんがなぜか女の子として育ててきた子なんです。内田さんて、すごく不思議な説得力のある方で、内田さん本人がいらっしゃった時に、その話題になって『ハナは、な、オスなんだがメスとして育てたんだ』言われたら、はあー、そうなのかーと思って、それ以上聞くのが愚問のように感じてなんか納得しちゃったんです。でもその話を聞いていた時は、まさかハナちゃんがうちに来るとは思ってなかったので、もうちょっと聞いといてもよかったな」

ホテルで働いている間、忙しさもあって絵を描くことからは離れていたという。でも、デザインやイラストレーションを様々な優れた表現と身近に接し続けるうち、森田さんが吸収したこともたくさんあったはずだ。

「自分の好きな作家たちが、どういうふうな考え、何を作っているのか。それに対するお客さんの反応を見て、もっとこうあるべきじゃないのかとか、こういうストーリーがあるといいはずだとか、お客さんの生活に入り込むアプローチはこうあるべきじゃないかなとか。自分のやってることは企画や販売でしたが、結局、自分の肥やしにさせてもらっていたところはあると思います」



ホテルを辞めてから、森田さんは絵や立体の制作をもう一度始めている。

「最近、硯をちょっと新調しました。オリエンタルデザインギャラリーでお世話になった伊藤慶二さんという作家のものなんですけど。この間、ギャルリ百草さんが20周年記念で伊藤さんの展覧会を企画されて、ぜひ行きますと飛んでいって買いました」

--エンドレスポエトリとジンバブエ

ホテルを辞め、エンドレスポエトリという屋号と共に仕事を始める。エンドレスポエトリという素敵な名前の由来は、アレハンドロ・ホドロフスキーの映画のタイトルからだそうなのだが、この映画を勧めてくれたのは、元ブランキー・ジェット・シティのドラマーで、様々なバンドやプロジェクトでドラムを叩き続ける中村達也だった。

「それまで特に映画の話しをした記憶もなかったんですが、ひょこっと突然連絡をいただいて、達也さんがわざわざ連絡して言ってくださるぐらいだから、それは観なくてはと観に行ったのがギャラリーが閉まる1月下旬のちょっと前でした。その時、ホテルに残るかやめて自分でやるかどうしようか悩んでいました。その映画を観終わって、映画の中のセリフに感化されて、私は退職と独立を決めていました。『頭は質問をするが、心は答えを知っている。意味などない、ただ生きるだけ』というセリフで、ああそうかあと思って会社に『辞めます』と言えるきっかけになった映画になりました。辞めて屋号をどうしようかなあと思った時、そういえばあれがきっかけだったと思って、映画のタイトルをいただきました」

「エンドレス・ポエトリ」
https://www.youtube.com/watch?v=IaUNWEDzocs


「達也さんに会社を辞めることを報告し、お勧めしてくれた映画とその中のこんなセリフに感化されたことがきっかけになった、達也さんはもう忘れてしまっているかもしれませんが、とても感謝していますと伝えました。そうしたら『そんなシーンあったっけ。よく覚えてんねえ』と笑っていました。まあそんなもんだよなと思いましたけど、私に勧めたこと自体覚えていないかもしれないけど、私にとってはとても大きなことでした」

中村達也という人、そして映画というきっかけ、そしてもう一つ自分で自分の行き先を決めるということを後押ししたのがアフリカ旅行だった。

「ちょうど同時期に、4月にアフリカに旅行に行くことを決めたんです。ギャラリーに来られていたお客さまが『今度ジンバブエに行くんだ』とお話されて、『へえ、いいですね!』と答えたら『一緒に行く?』と言われ、行きたいけど急にアフリカはさすがに行けないだろうなあと思っていたんです。誘ってくれた方はすごくすてきな方で、ご一緒したらおもしろいのがわかっていました。まだ辞めるかどうかわからない1月に、4月の話し。アフリカともなると長く休みを取らないといけないし、やっぱり無理かーと思ったけど、最終的に行きたい気持ちが勝って、もうジンバブエありきのこれからのスケジュールにしてしまおうと。その決断が、自分で未来を決定した感じがすごくあって、仕事もこうやって自分で決めてやっていきたいんだよなと気づいて、辞める決断のひとつの要因になりました」

--ウィリアム・モリスとハギさんは繋がっている

今回、日傘にループケアするウィリアム・モリスの布が森田さんの手元にやって来たのは、森田さんの人生に影響を与えたある人物との出会いがあった。

「1軒目の画廊に勤めていた時のお客さんで、もうお亡くなりになられましたが、萩原壮治さんというインテリアデザイナーの方がいました。ハギさんと呼んでいたのですが、その方にすごく鍛えてもらったと自分では思っていて、私がある時マイルス・デイヴィスのCDを聴いて、『すごくよかったんですよ』とハギさんに話しをしたら、

『何がどういいんじゃ』
『へ?』
『いや、よかった』
『何がどうよかったのか言え』と言われて、
『え? よかっただけじゃ駄目なの?』
『駄目じゃ』
『あんたは何がどういいかを客に言わなければいけない人だから、ちゃんと何がよかったかを伝えなければならん』


と言われて、私は、たしかにそうだと思った。その方が、よくウィリアム・モリスの壁紙を使って店舗を造ったりされていたんです。ウィリアム・モリスはもちろん知っていましたが、そのお客さんをきっかけに気になりはじめて、モリスの柄と一緒に生活するのってどんなだろうと。壁紙を変えるのは難しかったので、生地を買ってきてタペストリー的に使ってみようと買ったのが最初でした。10年ぐらい前ですかね」

森田さんの中でハギさんとウィリアム・モリスは一本の線で結ばれている。ハギさんにはお酒の飲み方まで教わったというが、ハギさんの携帯に登録されている森田さんの番号は、”森田絵描き恥かき”という変わった呼び名で入っていた。

(ハギさんが内装を手がけた広島中区小町にあるワインバーSCENA)

「ハギさんは『絵を描くっていうのは、どういうことかわかるか』『なんだろう』『恥をかくんだ。絵描きは恥かきだってことを知らないと駄目だ』ということを教えてくださって、それでハギさんの携帯の中の私の名前が、”森田絵描き恥かき”だったんですよ。恥かきの話を聞いた時は、『ほうほう、そういうものか』と思っていたんですけど、ごく最近なんですけど、いかに恥をかくかということについてお話しされていた方がいて。恥は、何かにトライした時にうまくできずに恥をかく。江戸時代に、恥かくことをやっちゃいかん、つまり新しいことをしちゃいかんみたいな風潮があり、これが思想の根底にあったから江戸時代は長く安定した政権が続いたんだそうです。新しい何かにトライしようとする時、恥をかくことをいかにするかなんだという話しを聞いて、あぁハギさんにすでに言われていたんだなって。だからウィリアム・モリスの生地を見る度に、ハギさんを思い出し、恥かきの話しも思い出すんです」




--森田麻水美さんの日傘が完成しました

森田麻水美さんのウィリアム・モリスのファブリックをループケアし、日傘に仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

森田麻水美

アートディレクター

79年広島生まれ
芸術大学を卒業後、金融機関の仕事を経てアートやデザインの展示企画の仕事に転身。
ホテルのギャラリーの企画運営では多数のアーティスト企画展示を手掛ける。
その後、独立「エンドレスポエトリ」の屋号でアートディレクターとして活躍中。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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