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平尾順平さん

イランで買った
伝統柄の布

19.12.08
HIROSHIMA

シブヤ大学の姉妹校の一つ、ひろしまジン大学を運営する平尾順平さんは、学生時代のバックパッカーを経て、JICE(国際協力センター)JICA(国際協力機構)に勤め、発展途上国の開発援助に携わってきた。そうした経験から得た気づきが、その後平尾さんが地元である広島に戻り、広島の魅力や可能性を伝えるという今の仕事に繋がっていた。平尾さんは得た気づきとはなんだったのだろうか。

--「日本に帰ったら、そんな国じゃなかったと周りの人に言ってくれ」

「いろいろな国を旅してきましたが、一番好きなのはイランです。理由いくつかあるんですけど、大きいのは行く前とイメージがすごく違ったこと。行く前は、いわゆるテロ国家という、欧米側の情報ばかりで考えていたけど、実際は牧歌的ないい国で、英語ができる学生もたくさんいました。『日本人ということは、アメリカの情報が入ってるから俺たちの国はやばい国だと思ってるだろ』みたいなことすごい言われて。お酒もテレビも禁止されている中で彼らは、フライパンで作ったみたいな衛星アンテナでCNNの電波とかを受信して、ニュースを観て知っていたんです。『日本に帰ったら、そんな国じゃなかったと周りの人に言ってくれ』と」

大学時代にバイトで貯めた30万円の資金とともに電車とバスでめぐったアジアからヨーロッパを巡った旅を振り返りながら、平尾さんは話を始めてくれた。

「それにも増して一番はモスクの中で聞くお祈りの歌『アザーン』が、すごく心地よく心に響いて、他人事に思えなくなったんです。モスクの近くの宿はうるさいからみんな泊まらないんですけど、僕は大好きで大体モスクのそばに泊まっていました。時間ができるとモスクの中に1人で座っていましたね。東京に住んでいた時も代々木上原にある寺院の東京ジャーミイに行くようにもなりました」

そんなイランで手に入れたのが、今回ループケアする布だった。

「モスクの一角にある伝統工芸を守ることも目的としたお土産屋で買いました。ガイドをやってくれた英語が話せる兄ちゃんが教えてくれたんです。プリントも適当で、伝統を守るといいながらクオリティは低い(笑)。イランの後もヨーロッパへと旅が続く予定だったので、大きい物は買えなくて、この小さな布を思い出に買ったんです」

イランには約3週間滞在。タイから始まった大陸の旅は、沢木耕太郎の『深夜特急』がモデルだった。最終目的地は、被爆地という戦争の惨禍に見舞われた広島に生まれ育ったことから、同じく戦争被害の象徴であるアウシュヴィッツに決めていた。それ以外は行き方も決めず、会った旅行者にどこの国が良かったか聞きながらの旅だった。そこで出会ったある人との出会いがその後との運命に関わっていく。

「イランのイスファハーンを旅してる時、出張で来ていたJICAの方に会ったんです。『きみ、日本に帰ったら大学4年で就職活動するんだよね? どうするの?』と聞かれて『いや、具体的なことは決まってないけど、世界でこういうことができたらいいなと思っています』と答えたら、『こういう業界があるよ』と、にJICEに就職することになるんです。だから、その人に会えたというのもイランが印象に残っていることのひとつです」

--広島を知らない人はいませんでした

いろいろな病気にかかりながらもアウシュヴィッツにたどり着き、日本に帰国。大学に復学、卒業して、JICEに入る。そこではバックパッカー時代とは違うが、違うレベルの無茶がたくさんある仕事だった。

「ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスなどの旧ソ連地域の担当で、赴任するわけです。現地の人に日本の大学院に留学してもらい、勉強したものを持ち帰ってもらう。外務省の仕事なわけですが、キルギスの時はいきなり800万円くらいを渡されて、『よし、行ってこい』みたいな話で。言葉も何もわからない状態で、取りあえず日本大使館に行ったら英語しゃべるロシア人がいるから行けと。4カ月かけて事務所を立ち上げたりと、なんとかできることをやって、でもこれがすごい楽しかったんです。でも、楽しい一方で、僕たちがやっていたことも結局国の政策なんですね。国策としてのプロジェクトと自分の考えや気持ちが整理できないことが多くなってきました。それが20代後半。そんな状況で絶対にウソがないことって何だろうと考えたら、自分の故郷の広島だと思ったんですよ。学生時代も合わせて50カ国ぐらい行きましたけど、どの国でも広島を知らない人はいませんでした。でもそれは、『ああ、あの広島』なんですよね」

長崎と並び、世界で唯一核爆弾が実際に落とされた場所として、広島は世界によく知られているという現実を知った。

「アフリカでは、『まだ放射能があるんだよね』とか『草も生えてないんでしょ』みたいなことを言う人もまだいました。これだけ知られているのに、戦後広島がまったくアップデートされていないことにショックを受けました。戦後から今までの70年近い年月をアップデートして、今の広島を知ってもらうことは、「核爆弾を落とされた広島でもあんな復興を」というメッセージやエネルギーとして、アフガンやスーダンのような土地の復興の助けとして受け取ってもらえるんじゃないかと思った時、それは可能性だと思ったんですよ。何も知られていない街のことを知ってもらうよりも、負の象徴として知られる広島市をプラスに転じることができたら、100以上の振り幅が生まれる。完全に当時の若気の至りですけど、これはやるべきことが見つかったと思ったんです。留学して政策や市民と行政の協働について研究してみたいと考えていた帰国直後に、広島原爆資料館のトップがアメリカ人が就任したんです。2007年、30歳の頃です。そん時、『え? は?』と思って、なぜアメリカ人がと。これは会いに行かんといけんと、広島を伝えたいという強い思いで帰ってきてますから、広島背負ってるぐらいの気持ちで会いに行った。そしたら、めっちゃいいおっちゃんだったんですよ」

広島原爆資料館を運営する広島平和文化センターの理事長に就任したスティーブン・リーパーは、翻訳家として仕事をしながら、反核の活動に従事するなど、平和活動家でもあった。

「トップに就任することで行政職になってしまったから、『おまえは俺がやっていた平和活動の方をやってくれ』と言われて。完全に意気投合してしまって、彼がやっていたことや彼の通訳として手伝ったりして、いよいよこれは食えんなと言うタイミングで、資料館の嘱託スタッフの募集があったんで受けて2年ほど資料館のスタッフをしました』

勢いからの行動が縁をつなぎ、平尾さんの未来は決まっていく。

--ひろしまジン大学に平和という言葉は必要だったのか

「帰国する時に思っていたのが、若い人が集まる場所が要るんじゃないかということでした。原爆についてはどうしても被爆者の人たちが中心になっています。それはしょうがないし、当然のことなのですが、若い人たちは平和教育を小学校で受けさせられるけど、それが自分事になってない。其間をつなぐ存在が必要なんじゃないかと思って、とあるカフェを使って、今ぼくたちがひろしまジン大学でやってるようなことをやり始めました。映画鑑賞や若い人たちを呼んで環境問題について話すとか、そんな活動を1年間ぐらい資料館の活動しながらやっていた時に、東京のシブヤ大学のスタッフとディレクターが広島に来ていて、『平尾さんがやってること、ぼくたちシブヤ大学ってやってるんですけど、近いですね』という話から仲間に入っていきました」

2010年、広島のさまざまな地域、分野で活躍する個性豊かな人(ひろしまジン)たちを先生に、まちや地域のことを学び、つながる場である“ひろしまジン大学”が立ち上がる。ひろしまジン大学の名前を決める時、そこに平和やピースという言葉を入れるかどうかで、半年近い議論が繰り返された。マークも鳩であるべきだという意見もあったという。平尾さんも平和という言葉が大切で外せない言葉だとわかっていたが、違う思いもまたあった。

「平和という言葉を出した瞬間にこれまでの広島と同じになると思ったんです。最終的にやっぱり広島はこれだけ命が奪われた街なのにこれだけ立派な街になった、人がいるだけでいいじゃないかというか、明石家さんまさんじゃないけど“生きてるだけで丸もうけ”みたいな、人こそ街だと思ったんです。生きてるだけで意味があるじゃないですか、広島は。今100万人いるってすごいことなんだよなと。“広島人”と胸を張って言える誇りを持っていこうという気持ちが込められています」

緩くでも長いつながり方を10年間実践してきたひろしまジン大学。かちっと決めた強固な存在と言うよりは、すごく緩くあいまいな組織体であり、それゆえに多くの人が関わる余地が生まれ、ひろしまジン大学が関わった人の数だけ、それぞれのひろしまジン大学が生まれてきた。授業のカリキュラムを作り、学校ではない街の様々な場所で生涯学習を実践してきたが、いま少し違うことを始めようとしているという。

--市民が旅行者を迎えるHello! Hiroshima Project

「今ぼくら広島駅で外国人観光客向けのガイド 『Hello! Hiroshima Project』の活動をしています。大半の観光客の入り口である広島駅で、最初に会う“第一村人”じゃないけど、最初に会う人が広島のことをよく知る市民ボランティアで、ホスピタリティーをもって迎えてくれたらうれしいし、助かるんじゃないか。他にも具合が悪くなったからお薬が欲しいから付き合ってほしいとか、ATMを聞かれたら一緒に連れて行ってあげるとか。外国人観光客と市民との関わりが生まれたら面白いとも考えていました。もう4、5年やっていて、2019年のグッドデザイン賞も受賞しました」

駅で迎えた後のツーリズムについても平尾さんはいまプランを練っている。それはかつて訪れたイランが報道のイメージだけで出来上がっており、実際のイランはまったく違うものだったという経験からが影響していたといえる。

「ひろしまジン大学では街を教室にして400個くらいの企画をやってきたんですが、そうした活動を海外の人にも経験してほしいと思っています。広島に来る観光客は、十中八九、宮島と原爆ドームを見に来て、すぐ帰ってしまいます。でも、それで帰らずに僕らが知っている75年を経た今の広島を体感してほしい。

ひろしまジン大学で授業をやっていく過程で、平尾さんはどんどん広島に詳しくなってきた。ちょっとアクセスが悪いだけでいいところはたくさんある。でも日本語が話せない観光客に、バスを乗り継いで行ってくれというのはさすがにハードルが高い。

「ガイドの人たちが一緒に連れて行くようなことができたら、そのアクセスのハードルは下がると思っていて、ガイドの人にとってもちょっとしたおこづかい稼ぎにもなって、持続性が担保できるかなと。コンテンツに関しては経験上あることはわかっていて、たどり着きさえすれば言葉は何とかなるし、現場も『来てもらえれば満足度は100%で帰す自信がある』と言ってくれています。後は、どうやって連れて行ったりするかというところを練っています」

--ダークツーリズムからホープツーリズムへ

「広島はアジアよりも極端に欧米からの観光客が多いんですよ。割合の問題で、買い物が目的であることが多いアジアの人が来てないからで、欧米人の数が多いわけじゃないんですよ。
修学旅行というか、彼らにしてみると学びの街というイメージが強いみたいで、食や遊びのナイトライフがあまり候補に入らない。夜泊まってもらうのがこの街のテーマになっていて、クラブ文化もあるんだと教えると意外で驚かれるんです。戦争の遺産だけじゃない、もっとポジティブなメッセージも伝えなきゃいけないだろうし、来てもらった時に当たり前の日常を見てもらうことにこんなに意味のある街はない」

2011年の東日本大震災による原発の事故被害を被った福島は、もしかすると広島が経験したことをこれから何らかの形で経験する可能性もある。

「一般的にはダークツーリズム、福島ではホープツーリズムと言っていますけど、ダークなとこだけじゃなくてホープとしてのこれからを示すことを、自覚してやりたいなと思っています。そういう街に住んでいるということを誇りに思えるようなものでありたい。うちの母親は被爆しています。僕は76年生まれなんですけど、被爆後30年で生まれてるんですよね。
あと30年、40年経ったら終戦と今の中間にいる僕らのような時代や感覚を経験する人はいないですけど、僕らはそういう世代なんだと思った時に、つなぎ役としてやらなきゃいけないこともあるんじゃないかなと」

行政は、被爆体験者の高齢化によって直接体験を語る人がいなくなってしまうことを危惧しているという。語り継ぐという役割を誰が担うのかということを、考えていかなくてはいけない時期ということだろう。

「でも、そういう方がいなくなってしまうのは仕方がないことで、当然いつか来ることです。そこに関して僕はあまり危惧していないというか、次の広島としてジェネレーションを移行しなきゃいけない。そのあり方は様々にあるのかなと思っています」

--パスポート切れ

現在の活動に繋がった旅は、今も継続しているのだろうか。

「この間、パスポートが切れてました(笑)」




--平尾順平さんのカードケースが完成しました

平尾順平さんの伝統柄の布をループケアし、カードケースに仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

平尾順平

ひろしまジン大学 代表理事

1976年広島県生まれ。広島市立大学国際学部卒業。
学生時代、バックパッカーとしてユーラシア大陸横断などの旅をする。大学卒業後、財団法人日本国際協力センターに入団。
東南アジア、中央アジア、中米、アフリカなどの人材育成、教育案件を担当。
国外から改めて広島を見つめ直す経験から、広島の魅力と可能性を強く感じ、2010年5月、ひろしまジン大学を立ち上げ現在に至る。

聞き手: 山口博之

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