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川口朋子さん

2回しか着ていない
着物

19.11.18
HIROSHIMA

母親が買ってくれた着物をループケアしたいと話してくれた川口朋子さん。何を話せばというところから始まり、ポツポツと話し始めた自分と家族のこと。話しは徐々に川口さんが感じていた家族の不思議へと進んでいった。

--小さな頃から自分がこの家に残るのだろうと思っていた

川口朋子さんは広島市の湯来町にある大きな家で両親二人と暮らしている。

「父がいろいろと注文を付けて建てたんですが、兄弟が出ていった今となっては必要以上に大きくて掃除するだけでも大変です。2階は4つも部屋があるのに私しか使っていない。大きければいいってものじゃないですね。もう小さくて十分」

川口さんのご両親はどちらも小学校の教師だった。真面目な印象のある教師という職業だが、川口家は決して堅い家ではなかったという。

「うちの親は、自分の子どもに関してはほったらかし。放任主義でした。好きにやれと。自分の仕事だけで精いっぱいな感じだったと思います」

兄弟は兄が2人。10歳以上年が離れており、1人は広島、もう1人は岡山にいる。それぞれ独立し、別の生活を送っている。

「私だけはずっとここに住んでいます。小中高とここから通える公立の学校に通い、卒業後は広島市内の保険会社に入社しました。この家からは遠くてある時辞めて、近場にある仕事に変えて今も近くで働いています」

遠かった職場の近くに引っ越すのではなく、あくまで家を基準に働く場所を近くに寄せていった。

「何となくではあるんですが、家から出にくいというか、いなきゃいけないのかなって。兄弟構成が男男女で、年も離れていて最後に残っていたこともあります。年の離れた女の子ということで、かわいがられたでしょと昔から言われ続けてきましたね。呪いのように」

“呪いのように”。非常に強く、重い言葉だ。だが、川口さんはそれを強制されたわけでも、そう言われ続けたということもなく、自分で勝手にそう思い込んだのだという。

「今思うと、ちっちゃい頃からそう思っていたんですよ。継ぐってわけじゃないけど、家からはなかなか出られそうにないなという雰囲気的なものを感じていた。反抗するでもなく、自分としても居心地がよかったんだと思います。私自身、ずっと守りに入る側の人間なんです。だからこの家から出ようという気もなくて、友達もそんなに多くないので限られた行動範囲で事足りていたということもあります」

--パートナーと外に出る理由としてのコーヒー

自分の時間に好きなことをするとしたら、何をしますかという質問に川口さんはコーヒーを飲みに行くと答えた。

「最近コーヒーを飲みに行くようになって知り合いが増えました。若い頃よりここ数年のほうが行動範囲が広いかもしれない。というのも、今、付き合っている彼が、コーヒー屋さんに通いだして、それに合わせて一緒に行くようになったら、私も前よりコーヒーを飲むようになって、広島にもいろんなコーヒー屋さんができているので行くようになったんです」

パートナーはいま仕事の関係で離島に住んでおり、会いに行くとなると湯来の家から約4時間かかる。新幹線であれば広島から東京まで行けるほどの時間だ。

「離島勤務もあと1年の予定で、次は彼の地元の岡山になるはずなので次は少し楽ですね。彼とは付き合って20年になります」

20年の付き合いとは長い。1972年生まれの川口さんが、20代の頃からということになる。結婚という選択肢を考えたこともあったのだろうか。

「それがないんですよね。両方の話として一度も出ていません。楽ですよ。結婚したくないという気持ちもあったかもしれないし、むしろしたい、しなければという強い理由もなかった。

友だちが結婚して、いいこと悪いこと、いろんなことを聞かされてきたというのもあったかもしれない(笑)。どんどんしなくていいかということになっていきました。そもそも別に今の関係に不満があるわけでもないから大きなきっかけがない。家のことがあったのもあるし、家から出ようっていう感じもなかったから。まあ19、20歳の若い頃は結婚したいと思っていましたけど、それは多分若かっただけ。基本、独りが好きなので。今の彼とはお互いの生き方、暮らし方が合致しているから20年も続いているということですね」

--両親とともにいえに残るということ

独りでいることが好きだという川口さんだが、最近ではご両親が揃って病気や認知症などの問題を抱えることとなり、その対応に日々追われているというもうひとつの現実もある。

「全ての世話をやるようになったのはこの1、2年ぐらいです。父よりも母の認知症が先ですね。この半年は進むのが本当に早かった。いろんなことが重なって一気に進んでしまって。平日は仕事がありますが、土曜日は午前中に病院に行って、コーヒーを飲みに行って、帰ってきたら家の掃除をして、食事の用意や選択などもある。日曜日も土曜日の流れで家の掃除をします。朝昼晩のご飯を考えると、ほぼそうしたことで休みはほぼ終わります。使ってない部屋の方が多いくせに広いからほこりがすぐたまって掃除をしなくちゃいけないんですよね」

デイケアなども利用しながらではあるが、働きながら2人の両親の世話をするのが簡単であるはずがない。家そのものの維持管理もしなくてはいけない。

「兄二人はたまに帰ってきます。私としては、自然といまのような環境や状況になりましたが、嫌だとも別に思っていないんですよ。家を守るというよりも両親の側にいて、見なきゃいけないかなって。それは自分が女だからというところもあります。しかも年が離れているというのがかなり大きいかな。何でそう思うようになったのかは、よくわからないけど」

大人になり、結婚という選択肢を元々考えていなかった川口さんにとって、家にいることも、両親のお世話をすることもなるべくしてなったということなのかもしれない。むしろ家と両親のことがあって、結婚という選択をイメージしなかったのかもしれない。

「少なくとも私が結婚して夫側の家に入るという事は考えてなくて、まだ誰かにこの家に来てもらおうとかは思ってたかもしれません。だから、もし結婚をしたとしても家から出ようということは考えていませんでしたね。何となくだけど、結構強い何かがあったということなのでしょうね」

--ループケアする着物と甘えるのが下手な私

日傘にループケアする着物は、昔、お母さんが買ってくれたものだ。

「実は2回しか着てないんです。前の会社の方の結婚式と短大の卒業式の時だけ。母方の親戚で着物の販売をされている方がいて、その方の所で買いました。どういうきっかけで買ったのか今ではよく覚えていないんです。私は赤ちゃんの頃から着物が好きだったみたいです。ある着物が大好きだったみたいで、ずっと同じものを着ていたんですけど、脱がされてたらすごく泣いていたらしいです」

年の離れた女の子だからかわいがられたでしょと周囲からは言われ続けたという。だけれども、実際はそれほどでもなかったのではないかと川口さんは感じている。どんな子ども時代だったのだろうか。

「どんな子どもだったか。どうなんでしょうね。父親にかわいがられていたんだとは思います。小さい頃はずっとお父さんの膝の上にいて、お父さんが1人で出掛けて、連れて行ってもらえないとずっと泣いていたんだよ、みたいにはよく言われていました。でも実際は両親とも仕事が忙しくて、それを見ていた私は甘えるのが苦手だったと思います。大変なのが見ていてわかっていたし、甘えちゃいけないものだと思っていました。なので寂しくていつも陰で泣いていたんです。気付かれないように。大人になって気づいたことですが、父は盆栽が好きですごい手入れをしていたのに、いつの間にかまったく手をいれなくなってしまった。それを見て、おそらく父親はかわいがる時期みたいなものがあるんじゃないか。これがかわいいと思ったら集中して愛でるけど、そうじゃなくなると途端に見なくなる。私もそうだったのかもしれないと」

兄弟のいる人は、一緒に遊ぶことで寂しさを紛らわせていたのかもしれないが、小さな頃の川口さんにとって10歳以上違う兄は、一緒に遊んだり、悩みを相談したりという対象ではなかった。

「年が離れすぎていたので、小さい頃はまともに喋ったこともありませんでした。何だか怖かった。離れているとそんな感じです。私が小学校に入った時、下の兄ですらもう16歳でしたから。だから兄たちのことがよくわからないんです。話すようになったのも、親のことで話さなければいけないことができてきた最近です」

--両親の不思議さにやっと気づいた

川口さんは、上手に距離を縮められない家族との距離についてようやくわかってきたところがあるという。そもそも昔から両親ともそれぞれが独立して好きな動きをしており、家族の誰かに何かを期待するということがあまりなかったのではないかと。

「昔から我が家は、家族で出かけることも、父と母が一緒に出掛けるということもあまりなかった。全くの別行動。どちらかが旅行に行っても、どこに行くのかも関心もない。ちょっと変わっていると思います。父親は昔から母のすることに関心がない。寂しく聞こえるかもしれませんが、母親は楽だったと思います。遊び放題というか、好き放題というか(笑)」

お父さんは、昭和の人らしく家のことは何もしない人ではあったが、逆を言えば、やることをやっておけば後は何も言わない人でもあった。出かけてもどこにいったのかと聞かれることも、怒られることもない。

「何ならご飯がなければ自分で買いに行って、何かお腹に入ればいいやという。だから母がご飯を用意していない日があっても怒らなかった。すごい楽だと思います」

そんな独立した人の集まりである川口家は、結婚しないのか、孫の顔が見たいなどの催促をされたこともない。

「うちは誰一人として言われたことがない。孫が見たいという台詞も全然ないです。結果的に二番目の兄に子どもがいるので、孫はできましたけど。二番目の兄が『ある人と結婚したいんじゃ』と言ったら、『ああ、したいならしんちゃい』みたいな(笑)」

両親は学校の先生だったが、進学についてもアドバイスも相談も何もなかったそうだ。

「行きたい所には行かせてもらいました。でもどうするんだとも聞かれなかったですね。教師だから経験や知識も多いと思ったんですけど、何もなくて、こちらからも求めなかった。小さい頃からそうだったから慣れていたんでしょうね」

--これからでもまだ新しいことはできる

とても不思議なつながりのように感じるが、家族皆がお互いに勝手な期待をせず、自由な了解の中で動いてる。

「その感じはすごくあります。常にある程度の距離の中で期待もしないし、余計な口出しもしないみたいな。自分でできることはやる。私はこの家にいなくちゃいけないとずっと思っていたと言いましたけど、親がそれを期待しているんだろうなとも密かに思っていました。でも最近ではそうじゃなかったんだというのがわかってきて」

私の一人合点だったと……?

「そうなんです。そこまで何も思っていないわけじゃないと思いますけど、そんなに多くを私に求めていたわけじゃないんだなって。自分勝手に思っていただけだったのかなと思いました。私は別に好き放題してもよかったんだ。囚われてたんだなって」

そういう川口さんだが、その顔は決して暗く寂しい顔をしているわけではない。

「後悔はしていないんです。自分でそう思って自分でやってきたことなので。最近になってコーヒー屋さんに行くことで行動範囲が広がって友人知人が増えたみたいに、今からでもやろうと思えば新しいことができる。そう思ってるので」




--川口朋子さんの日傘が完成しました

川口朋子さんの着物をループケアし、日傘に仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

川口朋子

会社員

1972年広島生まれ
短大卒業後OLとして生命保険会社に勤務。
その後、実家に近い職場へと転職し事務の仕事を続ける。
両親との暮らしを真ん中に置いて自分らしく過ごす日々を大切にしている。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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