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垣根千晶さん

おばあちゃんの
着物

18.12.29
HIROSHIMA

1949年創業、創業70年を迎える藤井製帽。帽子の大きなOEM工場としての顔だけでなく、小売事業部とトチエットという新しいブランドも抱え、垣根千晶さんが若きデザイナーとして活躍している。お父さんに騙されて戻ってきたと笑う家族の肖像。

--帽子の技術を覚える前に広くデザインについて学んで考えてこい

「工場があるここで生まれ育ちました。私が小さい頃は工場の二階に住まいがあり、大人が立ったらもう天井みたいな状態でしたね。」

18歳まで地元で過ごし上京。帽子科のある文化服装学院に入学する。しかし、千晶さんが入ったのは帽子科ではなく、アパレルデザイン科だった。

「いつのアルバムや文集を見返しても、デザイナーになるってずっと書き続けていました。ただ、小中学生の頃に帽子じゃなくお洋服も作りたいと思うようになってきたんです。そうしたら父が『どうせ習うなら東京まで出て習って来い。将来、帽子のデザインをするなら決まった作り方を覚えてしまうとデザインの幅が狭まる。生産性や効率ばかりを考えてしまうから、帽子の技術を覚える前に広くデザインについて学んで考えてこい』と言ってくれたんです。」

ただあとを継がせるためではなく、物事を大きく捉えた的確なアドバイス。そんなアドバイスをしてくれたお父さんは、藤井製帽の二代目。創業者である千晶さんのおじいさんは、千晶さんが小学生3年生の時に他界。OEMで藤井製帽を大きくしたのは、お父さんの代になってからだという。

「戦後、祖父が広島県中部にある世羅町という、帽子産業が進んでいたところに住んでいて、作った帽子を担いで尾道の海岸通りの問屋街まで行商に来ていたことに始まります。祖父が売るための場所として軒下を借りたのが祖母の家の前で、曾祖父が祖父を気に入ってしまった(笑)。婿に来てうちで商売をやらないかと誘われて、婿には行けないとなったんですが、嫁にやるけど会社の名前でもあった藤井の姓は残してほしいと頼まれ、藤井製帽が生まれました。垣根という名字なのに藤井製帽なのは、祖父が垣根で祖母の旧姓が藤井だったからなんです。」

おじいちゃんがたくさんの帽子を担いで売り歩いていたように、お父さんも修行的な意味もあって、帽子を担いで東京まで行き売り歩いたという。それがきっかけとなりお客さんがどんどん広がっていった。

「注文くれるまでここをどかん! みたいな感じだったそうですよ(笑)。」

帽子作りの技術は祖父、父へと受け継がれてきた。しかし、お父さんは帽子のデザインだけでなく、その技術も最初に身につけるなという方針だった。

「最初はミシンで形にできるところまで見よう見まねでやっていたんですが、やり始めれば自然と縫えるようになるから今はやるなと。」

--騙された!

服のデザインから帽子のデザインへという最終決定はいつ下されたのだろう。

「服の勉強をしている時も帽子を切り離したことはなくて、実家から帽子のデザインを頼まれて絵を描いたりもしていました。文化を卒業して3、4年は、ブランドをやりながら舞台衣装のデザインをしていた矢内原充志さんというデザイナーさんについて、コレクションものやコンテンポラリーダンスの衣装を作っていました。それは既成品をつくるという仕事に就く気になれなくて、ダンスとか動きのための衣装というのに興味が湧いたんです。カーテンがそのまま衣装になったり、全然動けないものもあったり。手伝いをしていた頃、『藤井製帽のデザインをやってみない?』と母に言われてからですね、帽子のデザインをちゃんとするようになったのは。」

最後の一時期は舞台衣装と帽子屋の仕事が並行していた。いつかやるとは考えていたようだが、やってみないの一言で始まったというのは、少々裏があるようだ。

「そろそろ戻ったほうがいいのかなという気持ちはどこかにあったんですが、本当に正直に話しますと…、父からお母さんが忙しすぎて倒れるぞと電話、というか脅しがあったんです。デザイン以外の事務や家の仕事もあるから、お前が帰ってきてデザインをやらないと危ないと。後から聞くと、ただの風邪だったんですけど……。後々聞いたらお兄ちゃんも全く同じことを言われて帰ったらしいんです(笑)。父は『わしの筋書き通りじゃ』とよく言ってます(笑)。」

千晶さんは2010年に藤井製帽に入社し、帽子のデザインを担当するも、広島には帰らずに東京に事務所を構えデザインをしながら営業も行っている。

「『広島に戻って来い』と言われてたら実際どうだったかわからないですね」

--仕事としてものづくりができているのかという不安はありました

アパレルデザイン科を経て舞台衣装の制作をしてきた千晶さんは、お父さんの助言どおりあえて帽子について学ぶことなく、帽子のデザインをし始めることになった。

「『こういう技法を帽子に使うのは斬新だね』みたいに言われることは多いですね。服だったら普通に使われるタックを帽子に使おうとか、帽子を洋服のようにパターンから作ってもいいんじゃないかというふうにデザインをしていました。いま定番になっている形も、帽子としてはあんまり使われない手法のもので、今ではそれが主流になっていたりもしてるんです。」

とはいえ、帽子の基本がなかった垣根さんは、中国工場に2カ月ほど研修で訪れ、現場を見ながら何とか帽子作りの基本ができていったそうだ。舞台衣装という特殊なデザインの世界での経験を過剰に活かそうとしていた時期もあった。

「入社してすぐは、服であれだけやってきたのに、このちいさな帽子の中に何もちゃんと表現できていないみたいな感覚がありました。25から始めて、3年くらいは描いてる絵がどこかお遊びというか、本当に仕事としてのものづくりができているのか不安がありました。他とは違うもの、変わったものをという、意地じゃないですけど、せっかく私がデザインするならと。ものができあがることを何年も繰り返していくと、思い描いた絵がそのまま形になったり、そこから現実のかぶりやすさに近づけるみたいなことを勉強して、お客さんからいい反応をもらう中で覚えていきました。」

--帽子の定義とはなにか

ショールームを見ても、小売部の店内を見ても本当にたくさんの帽子がある。たくさんの帽子を見ながら帽子の定義は一体何なのかと考えていた。かぶれること? かぶると付けるの違いは? 帽子とヘアアクセサリーの境界は? など。

「私もずっと考えています。器と帽子、ランプシェードと帽子はどちらも同じ部類だと思っています。帽子の技術を利用して器を作ったとして、器とは言わずにお客さんに見せた時、もしかしたらこれをかぶる人もいるかもしれないと思うと、帽子の作り方の技術を継承していけば作るものは帽子でなくともいいんじゃないかと考えたりしています。いままさに器やランプシェードをプロダクトデザイナーと一緒に作っています。」

“外に出かけるときに被り、帰ってきたらクローゼットに・・・ではなく、部屋の中でもインテリアとして飾ってほしい。季節、服装によってかぶる帽子を選ぶように気分、部屋によって飾れる帽子があってもよいのでは”。2013年、そんなコンセプトで垣根さんが立ち上げたブランドtočit(トチエット)は、そうしたものづくりへの態度がそもそもあったからだ。

「藤井製帽は帽子のOEMを中心とした提案型のメーカーで、昔は母がすべてデザインをしていましたが、途中から私が毎シーズン7、80型をデザインをしてOEMのお客さんに提案し見ていただくというかたちをとっています。時々お客さんから『もうここまでデザインしてくれているんだったら自分のブランド持たないの?』と言っていただけたりしていたんです。でも帽子業界としては、OEM工場がブランド持つというのはタブーではないですが、競合になるという意味であまり例がありません。それで立ち上げてからも大きく出ることは控えていたんですけど、一昨年くらいからはトチエットの方も力を入れないとねと考えはじめました。」

経験を積み、器受け入れられやすい形を器用に提案できるようになった一方で、そうじゃないままでいたい部分のせめぎ合い。そこから次のステップへという意味がトチエットにはあったという。

「トチエットの展示の時、必ずランプシェードも一緒にディスプレイをしているんですが、お客さんの反応が良くて、私たちの考えは間違ってないだなって。先程お話したランプシェードや器、一輪挿しを、トチエットではなく藤井製帽としてやっていこうと兄と話しもしています。そもそもトチエットはあまり帽子売り場には置いていないんです。置いているのも国立新美術館さんの地下1階のミュージアムショップや本屋さんで、ライフスタイルショップのような場所でやっていけたらいいなと思ってます。インテリア的な日常にあるものであってほしい。」

--かわいくも厳しいおばあちゃん

これからの藤井製帽とトチエットとつくっていく垣根さんとお兄さんのふたり。お兄さんは、大学生時代を京都で過ごし、仕事で東京へ。2年ほど働いた後、先程の垣根さん同様、お父さんに“騙される”かたちで帰郷する。

「学生時代、学校に全然行っていない時期があって、料理屋でバイトしていたんです。子どもの頃の夢がコックさんで、そっちにのめり込んで『料理人になる』と言い出し勘当されかけたこともありました。そういう時ってあまり両親の話を聞かないじゃないですか。そもそもばあちゃん子だったので、ばあちゃんに相談したら、じいちゃんと藤井製帽の歴史的な重みとかを話されて我に返りました。」

今回シェルフへとループケアするのはおばあちゃんが着ていた着物。おじいさんが亡くなってからはひとりで20年近く帽子屋さんの店頭に立ちながら、お茶の先生もしていた。

「僕らが言うのもあれですけど、若い頃の写真を見るとものすごい美人なんです。ばあちゃんになってもきれいな人で上品でした。上品だったけど、お客さんに『あんた似合わんわ、それ』とかづけづけ言いながらおしゃべりして帰って行くのが楽しみになっている人もたくさんいました。93歳で亡くなって、85、6歳までは店頭立っていました。」

お兄さんと7歳違う垣根さんにとってもおばあちゃんは厳しくもかわいい存在だった。

「お店に立ってるおばあちゃんの印象が強いですね。学生のお客さんが来て、腰パンしている子たちのズボンを直してあげたりとか(笑)。子どもたちが来たらあご紐を直してあげたり、サンプルや生地の残りを持っていくと、自分でリボンを付けたりしていました。後はちぎり絵。そういうことをずっとしてる印象で、作りながら他愛もない話をいろいろしました。私が東京で衣装の仕事をしている時も、すごい興味を持って、「あんた今どんなことしよるの」とかたくさん聞いてくれてました。それでも厳しいイメージもあります。躾はちゃんとしていて、お行儀よくしなさい、みたいな感じのおばあちゃんでした。でも粋な感じもあって、お酒を飲んでちょっと顔を赤らめながら若い人の話を聞くのが好きな人でした。かわいかったな。」

--これからの藤井製帽、これからのトチエット、これからの私たち

1949年創業の藤井製帽は創業70年を迎える。

「父が、『自分は5年、10年、15年という節目が必ずあったから、中国工場を作って15年、創業70年がタイミング。わしは70歳で引退だ』と言いながら寂しそうにしていました。中国の工場のある街に移住してもの作りはずっと続けるつもりのようです。」

創業100年が見えてきたいま、受け継ぎ守っていくものと変えていくもの、受け継いだものを違う形で表現することも出てくるだろう。尾道という街がおもしろくなってきている今、トチエットと藤井製帽の両輪でバランスを取りながら垣根さんのものづくりも発展していくはずだ。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

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垣根千晶

帽子デザイナー

1985年広島生まれ
文化服装学院アパレルデザイン科を卒業後、衣装デザイナーの職に就く。
並行して、実家の帽子デザインにも取り組む。2010年正式に藤井製帽に入社し本格的に帽子デザインしていくなかオリジナルブランドtočit(トチエット)を立ち上げる。
現在、コンセプトショップを中心にブランドの展開を広げている。
帽子という固定概念にとらわれないクリエイティブな作品に注目が集まる。

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写真: 山田泰一

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