吉田奈緒子さん
と
アパレル勤務時代の
ストライプシャツ
23.05.08
HIROSHIMA
吉田奈緒子さんが手掛ける「こどもノか」のハンドメイドバッグは、建設現場で使われ捨てられる青いビニールシートからつくられている。誰もがどこかで見たことがあって、使ったこともあるそれが、かわいいバッグに変身する。LOOPCAREのコンセプトとも通じる活動を行う吉田さんだが、環境意識が先立ってあったわけではない。ファッションが好きだった吉田さんが、自分の手でアップサイクルを手掛けるまで。
--ユナイテッドアローズ時代のストライプシャツ
取材場所として指定され訪れたのは新築の一軒家。きれいな住宅の一角が吉田さんのアトリエになっていた。
「元々は前に住んでいたマンションの一室にミシンを置いていたんですが、とにかく狭くて(笑)。2021年の7月に家を建てて、一部屋をアトリエにしました。いつでも人に来てもらえるようにとか教室を開けたらとか思いながら、作業用以外にもミシンを置いていました。でもまだなかなか他の仕事が忙しくてまだ呼べていません。他に教室がやりたいという方に貸すのもいいなと思っています。」
早速今回ループケアするものを見せてもらう。ユナイテッドアローズのピンク・レーベルのさわやかな青のストライプシャツだ。今回は、これがカードケースにリプロダクトされる。
「昔ユナイテッドアローズで販売のショップスタッフとして働いていたのですが、働き始めてすぐに買ったものです。スーツやドレスのセクションを担当していて、働き始めるにあたってきちんと見えるものを買わんといけんかなと思って、このシャツを買いました。きちんとしているものと言いながら、ピンク・レーベルはカジュアル寄りなんですが、普段も使い回しができるようにと思って買ったんです。」
これまでと違う働く環境に合わせて、新調した服。そのシャツを買ったのは、元々カジュアルなファッションが好きだったこと以外に、そこで働く先輩方へのファッションスタイルへの憧れもあった。
「アローズ入社前に、そこで働く方々を見て、シンプルなスタイリングの中に高級ブランドを混ぜたり、モードにカジュアルを混ぜたりするミックススタイルがすごくかっこよかったんです。型にはまっていなくて、今よりももっと自由に自分の好きなものを好きなように着ていたんです。『わたしもそういうスタイルをしたい!』と思って、ジャケットにシャツを着るけど、足元はコンバース、みたいな着崩し方を楽しんでいましたね。」
--美容師発ギャル経由カジュアル着
ファッションを意識し始めたのは、遡ること中学時代。美容院で髪を切ってくれた美容師のファッションに感銘を受けたからだった。
「わたしがファッションを意識しはじめて、まずは髪型を変えることからスタートしたんです。行った美容院の美容師さんがすごくおしゃれで。カーキのノースリーブ・ロングワンピースの上に、黒のメッシュ素材のピタッとする服を着ていました。ちょっとタンクトップのワンピースが透けて見える。『ああ、こんな格好をしたいなぁ』と。そこから自分の服探しが始まりました。『これに似たような服とかないかな?』とか思って古着屋に行ったり、探す日々でした。」
ファッション雑誌を見始め、いろいろなファッションスタイルがあることも知った。中学生が外見を意識するのは自然の流れとも言えるけれど、自己表現としてのファッションを選んだ吉田さん。「着飾る」とか自己表現することに対する意識は小さい頃からあったのだろうか。
「どうでしょう。ちっちゃい頃に、友だちがお母さんからすごく可愛く服を着させてもらっていて、『すごくおしゃれだなぁ』と思っていたのを覚えています。わたしの母も姉妹でお揃いにはしなかったんです。わたしにはわたしに似合う服を選んでくれていたんじゃないかな。洋服屋さんに連れて行ってくれて「選びなさい」みたいな感じで選ばせてもらってもいましたね。昔の写真を見ると、「かわいい格好をしているな」という写真もけっこうある。父も父で洋服にすごくこだわりがあって、シャツ好きでいろいろなシャツを着ていました。だから家族みんな洋服が好きだったという感じかもしれません。
吉田さんは、一時期ギャルに傾いたこともあったそうだ。友だちから進められるがままに挑戦したが、黒歴史として子どもたちにも当時の写真は見せていない。
「短大に入る頃に出会った友だちがギャルで『絶対に似合うからやってみなよ!』と言われて(笑)。『えっ!?』と思ったんですけど、ロキシーとか流行っていた頃で買ったりしていました。でも『すごく着心地が悪い』(笑)。ミニスカートとか。着て遊びに行っても、階段もパンツが見えていないか気になる。濃いギャルメイクもしていたんですが、自分がお化けに見えましたね(笑)…。そこから徐々に徐々に自分でもとに戻していきました」
吉田さんは、一緒に遊ぶ友だちや環境に影響を受けながら、古着やギャルやモードまでフットワーク軽くその時々の変化を楽しんできた。
--見つけた天職
ユナイテッドアローズに二年ほど勤めた後、いくつかのアパレルで販売員の仕事を続け、出産を機に辞める。現在の仕事につながるきっかけは子どもだった。
「出産後に、子どもに何かかわいいものを着せたいと考え始めました。かわいい子ども服はたくさんありますけど、『自分が作ったものを着せられたら』と思って、子ども服を作りはじめたんです。最初は本屋さんで買ってきた本を見ながら付いている型紙からはじめました。」
元々ファッションが好きだった吉田さん。子どもにかわいい服を着せたいという気持ちは自然な流れだが、作りたいと着せたいという気持ちは、どっちが先行していたのだろう。
「最初は“着せたい”が先行したけど、作るうちに“もっとかわいいものを作りたい”と思って。そこから“もっとオリジナリティのあるものを作りたい”となっていきました。そしたら型紙も自分で引かなきゃだめだと思って、二人目の子ども生まれてから、夜間の専門学校でパタンナーの勉強をはじめたんです。」
2017年頃、37歳の時だった。上の男の子が7歳、下の子がミルクを飲んでいるような時期。一年半ほど学校に通い、パターン・メーキング技術検定の三級を取得。その頃から洋服のお直しの仕事を受けながら、自宅で二級取得のための勉強を続けた。
「勉強しながら働いていたリフォームの仕事場で教えてくださったベテランの方がすごく詳しくて、いろんな実践的な縫い方を教えてくださったんです。勉強と合わせていろんなことがスーッと入ってきて、ほとんどのことが言われてすぐできた。それで『自分はお直しに向いてるのかも』って。『天職かなぁ』って思いながら仕事していましたね(笑)。 それが2019〜20年くらいです。」
--ブルーシートとの出合い
「それで、2019年に『工房こどもノか』を立ち上げました。屋号の「こどもノか」は、あるイベントに出店しようとした時、アロマをやっている子とやることになっていて、子ども服とアロマがセットだけど、出店名は何がいいかなと考えて。“子ども”と“香り”だから、“子どもの香”で『こどもノか』はどうだろうと。“ノ”だけカタカナなのは、ジブリが『〇〇の〇〇』みたいにタイトルを付けているところから来ていて、“の”を強調するためにしています。」
現在の活動の中心であるブルーシートでの作品作りをはじめたのは、2020年の夏頃。ある建設会社の方との偶然の出合いからだった。
「近所の方で同じ服を何度もお直しに持って来られる方がいらっしゃいました。穴が開けばすぐに持ってきて『もう捨てたらいいんじゃない?』と思ったこともあったんですが、『でも子どもがすごく気に入っているから』と直し続けました。何回も直していくうちに、『ああ、この人すごいなぁ』と思い始めたんです。普通だったら新しいものを買おうとするのに、子どもが気に入っているということを大切にして、大事に着続けてる。すごくいいことだなぁと。そんなことを考えていた頃に、妹家族が家を建てることになり、その建設会社の日興ホームの羽原さんという方と出会って、話していくうちにすごく仲良くなったんです。わたしがビニールで作ったバッグをインスタに上げたら、羽原さんが見てくださっておもしろいですねと言ってくれて。当時、熊本の震災で使用されたブルーシートをバッグに再生している人の話しを知人から教えてもらって、私もそういう取り組みもしてみたいと思いはじめていた頃だったのもあって、羽原さんに『いらないブルーシートってありますか?』と伺ったら、『ありますよ!』と。一回で捨てられてしまうこともその時に知って、『じゃあ、ちょっと譲っていただけませんか』とお願いしました。当時はアップサイクルという言葉も知らなかったんですけど、やってみることにしました。」
建設現場で使われるブルーシートは、新築の縁起担ぎ的な意味合いもあるのか、毎回新しいものを使い、古いものを使い回すことがないという。役目を終えたブルーシートは、就労支援施設の「あおぞら工房」さんへ持ち込まれ、汚れを落として消毒。パターンを引き断裁までやってもらい、吉田さんのもとへ届けられる。吉田さんは仕上げの縫製をして、出荷していく。
「届くブルーシートは現場からそのまま届くので、すごくボロボロのものもあれば、きれないものもあったり、破れていたり、ホッチキスが付いたままだったり、車のタイヤ痕が残っていたりと様々です。」
実際に作ってみて、反応はどうだったのだろうか。
「ブルーシートを提供してくれた日興ホームさんにはすごく喜んでいただいています。これまでお客様には紙袋に入れて資料を渡していたそうなんですが、長く使っていただきたいという思いも込めて、契約したお客様には私がつくったバッグを渡してくれています。」
--芽生えた環境への意識
最近はバッグのバリエーションを増やし、サコッシュやコンポスト・バッグを作っているそうだ。アップサイクルという言葉を知らずに始めたプロジェクトは、新たな環境意識を獲得し、次へのステップに行こうとしている。
「『こどもノか』を立ち上げた時には、ほとんど環境問題への意識はありませんでした。不要になったブルーシートで何かをつくるとかゴミを減らすとかも、環境意識というよりは、ただちょっと良いことをしているくらいの思いでした。ただ友だちから『今度環境活動家の方が西条に来るから話を聞きに行かない?』と誘われて、ちょっとした気持ちで聞きに行ったら目から鱗で、衝撃を受けました。『これはやばいことになってるぞ』と。あまりにも問題が大きすぎて、いきなり自分で大きなことをするのは難しいけれど、自分でできることを頑張ろうと思い始めて、日常生活で意識するようになりました。環境活動家の方は、谷口たかひささん(https://www.instagram.com/takahisa_taniguchi/)という方なんですが、私が企画者として2021年の5月に東広島市に谷口さんをお呼びして、中学校二校と一般講演で合計三回の講演をしていただいたりもしました。」
聞きに行ったところから呼ぶところまですごいスピード感で実行に移している。それだけ環境問題が吉田さんにとって驚きの内容だったということだろう。
「2021年の自分の目標としてがんばりました。谷口さんの言葉で印象に残っているのが、“無関心な人間はいても、無関係な人間はいない”っていう言葉で。『ああ、確かに』と思ったんです。わたしも今まで関心がなかったけど、みんな関係していることだよなと気づいて、その言葉がすごく印象に残っています。」
ひとりひとりの消費活動によって変化してきた地球環境であるなら、ひとりひとりの気付きと行動も新たな世界の変化へとつながっていく。吉田さんのこれからの活動も楽しみだ。
--吉田奈緒子さんのカードケースが完成しました
吉田奈緒子さんのアパレル勤務時代のストライプシャツをループケアし、カードケースに仕立て直しました。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
吉田奈緒子
工房こどもノか代表
1980年広島生まれ
2児の母
2019年9月に工房こどもノかを設立
11月にパターンメーキング技術検定2級を独学で取得
洋服のリフォーム、ハンドメイド作家として活動。
地元ハウスメーカーとの出会いから廃棄されるブルーシートを活用したアップサイクル事業をスタート。教育機関やイベントなどで、アップサイクル講座を開催し、環境問題、モノを大切にする想いを伝えることを取り組んでいる。
2022年11月にアップサイクル協議会「アオイチキュウへ」を設立。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
原田健次さんと
店を始めた時に作った
エプロン
地粉うどん店 わだち草 店主
20.05.28
峠一平さんと
履けなくなった
パンツ
美容師
21.03.18
峠優さんと
長女のための
手作りワンピース
美容師
21.04.28
柚木藍子さんと
長女が1歳から着ていた
大きめTシャツ
Photo Studio Marque代表
21.11.18
柳谷環さんと
母がつくってくれた
スカート
千差株式会社代表取締役
22.01.08
森川公美さんと
神主だったお父さんの
装束
広島交響楽団 フルート奏者
21.02.08
森脇靖さんと
インドでもらった
ジャケット
陶工
21.06.18
櫻木直美さんと
長女の入園時に作った
レッスンバッグ
株式会社マアル 代表取締役
20.08.28
稲垣友美さんと
特別にオーダーした
ワンピース
SSca:CNC工作機械プログラマー
20.07.08
原田健次さんと
店を始めた時に作った
エプロン
地粉うどん店 わだち草 店主
20.05.28
峠一平さんと
履けなくなった
パンツ
美容師
21.03.18
峠優さんと
長女のための
手作りワンピース
美容師
21.04.28
柚木藍子さんと
長女が1歳から着ていた
大きめTシャツ
Photo Studio Marque代表
21.11.18
柳谷環さんと
母がつくってくれた
スカート
千差株式会社代表取締役
22.01.08
森川公美さんと
神主だったお父さんの
装束
広島交響楽団 フルート奏者
21.02.08
森脇靖さんと
インドでもらった
ジャケット
陶工
21.06.18
櫻木直美さんと
長女の入園時に作った
レッスンバッグ
株式会社マアル 代表取締役
20.08.28
稲垣友美さんと
特別にオーダーした
ワンピース
SSca:CNC工作機械プログラマー
20.07.08
商品毎に、1回分の無料修繕サービス(リペア券)がご利用いただけます。
完成品といっしょにリペア券をお届けいたします。