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峠優さん

長女のための
手作りワンピース

21.04.28
HIROSHIMA

夫の 峠一平さんと共に北広島で「峠の美容室 わらふ」を営む峠優さん。高校の同級生だった一平さんが思い描く夢を共に歩み続けてきたけれど、必ずしも常に同じ方向を向いていたわけではなかった。でも優さんは一平さんを信頼し、任せ、応援もしてもきた。主張はしないけれど、いつの間にか居心地のいい場所を実現してきた優さんのことば。

--パートナーは高校からの同級生

「広島市の安佐南区で生まれて広島で育ちました。夫とは高校の同級生なので、同じ1983年生まれです。いまのこの家は、2014年に空き家バンクというサービスで物件を見つけてから、リノベーションをして2015年に引っ越してきました。31歳の時でした」

優さんが美容師になりたいと思い始めたのは高校生の頃。美容師がその技術で女性を輝かせるテレビ番組の影響だった。

「『B. C. ビューティー・コロシアム』という番組で、ヘアーやメイク、スタイリストの人たちが手を加えるとみるみる女の人たちがきれいになり、内面まで変化して自信を持ち始める姿に、自分もそういう内面まで変えていくような仕事がしたいと思ったんです。その中で一番身近だったのが美容師でした」

夫の一平さんと同じ高校、同じ専門学校を経て、美容室に就職する。一平さんがロンドンや東京に行っている間も優さんは広島で働き続けてきた。そして25歳でスタイリストになる。

「25歳でスタイリストになりました。なのですが、その後すぐ妊娠がわかったんです。美容師としてはこれからというタイミングで妊娠、出産、結婚という道ができてしまった。結婚はまだしなくてもいいんじゃないかと思ったりもしました」

そんな葛藤がありながらも、二人は結婚。結婚をタイミングに一平さんは自分のお店を出す。出産後の産休を経て、優さんは26歳でお店に合流した。

「私の周りは美容師同士の結婚も多いんですが、夫婦で同業なのはいいことも悪いこともあります。特に私たちは同い年ということもあって、俺はこうだ、私はこうという競争心が強く出すぎてぶつかることもありました。一方で大変さもわかるから、悩んだら答えをくれるということもあります」

--自分のやりたいことは先に出てこない

結婚、出産、開業と人生の大きなできごとが一気にやってきた当時、どんなこと考えていたのだろうか。

「なぜか大丈夫だと思っていました。何とかなるだろうと。若かったんだと思います。夫がお店を開けた時は、私はまだ違うお店で働いていて、彼の稼ぎがどのくらいかもわかっていませんでした(笑)。家計は折半。産休に入って夫の収入だけになっても、果たしてお客さんが増えているのか、減っているのかも知りませんでした。とりあえず給料は持ってきているから生活は大丈夫みたいなくらいに考えていました」

子どもの将来を不安に思ってしまいそうなところだが、何ともあっけらかんとしている。

「楽観的なんだと思います。彼はいろいろ新しいことをしたがる人なんですけど、そのやりたいことにいつもいいじゃんと言えているから。田舎で美容師をやるなんて大丈夫かとか、街中でやっている方がお客さんは来やすいとかは当然ありましたけど、やりたいならやってみようよっていつも言ってきました」

楽観的という性格はもちろん、一平さんへの信頼もそこには強くある。一平さんがやりたいと思ってきたことに賛成してきたなかで、優さん自身は何を考え、どうしたいと思っていたのだろうか。

「いつも自分がやりたいことというのは先に出てこなくて。普段こうやって取材を受ける時も夫が多いから、これまでの道のりを自分ごととして考えてこなかったんですよね。どこか付いてきてるみたいな気持ちだった。でも、自分のこととしていまここに移り住むまでのことを考えてみると、私の方も街中で働くことや状況に違和感を感じていたんですよ。当時子どもが二人いたけれど、新規も予約も日々取っていて、簡単には断れない状況がありました。子どもが熱を出してもすぐに迎えに行ってあげられないなど、追われるような生活でした。夫はもっと休めず、土日に子どもの用事があってもお店があるからもちろん不在。母だけで行くということが普通になっていって、それがいちばんの喧嘩の原因になっていました。お互いに『自分は仕事をがんばってるんだ』みたいな言い合いになって、二人の家事と育児と仕事のバランスが悪かった。私はお店から早く帰ったとしても家のことがある。そんな感じですごくぶつかっている時期もありました。もっと家と仕事のバランスを取りたいと訴えていた時期があったわけです。だから引っ越そうとは言わなかったんですけれど、結果的にいまここに繋がってきたのかなと」

優さんが自分から引っ越そうと強く願ったわけではなかった。カンボジアのことや資本主義への懐疑心など、一平さんに思いがあるならと後押ししたことだった(一平さんのインタビュー参照)けれど、結果それは自分にとっても望むような未来に繋がっていた。

「いまはお店の隣に家があって、子どもが熱を出して休んでも仕事をしながらケアできる。家事だって営業が終わればそのまま一緒にできる。家と仕事のバランスが自然ととれるようになったんですよ、結果的に。望んでいたことが予想しない形で実現してハッピーになったのは自分の方かもしれません。自らなにかしようと頑張っている時ってあんまりうまく行かない気がして、私は」

なるほど、直感と楽観が未来を導く。

--「あんたらは悪いことしんさんなよ」

広島市内の中心部から中山間地域である北広島に移転してからも、継続して来てくれるお客さんは少なくないという。

「1時間くらいかけてわざわざ来てくれています。小旅行的に来るのもよくない?とか周りのスポットを紹介しながらお誘いしてみたり。でも引っ越してきた当初はおすすめできる場所やお店もあまりなかったんです。ところが最近、こんなのがあったらいいなと思い描いていたお店ができてきて、近所にドーナッツ屋さんやベーグル屋さんがオープンしたんです。何だかうちが“引き寄せてる?”みたいな(笑)。これはお客さんに喜んでもらえる」

行きやすいから、近いからという理由で決める人も多い美容室にあって、わざわざ遠くにまで来てもらえることの喜びは望外のことだろう。そして来てもらえるほどの技術と信頼、関係性があるということでもある。地元の人がお店を訪れる回数も日毎増えていき、今では半々にまでなったという。

「おじいちゃん、おばあちゃんも来ますよ。切る髪がほとんどないようなおじいちゃんまで(笑)。髪を切りに来ているのか、話をしに来ているのかわからなくなるくらいです。でも、私たちが移住したての頃、どこかの地域で移住者が悪さをしたというニュースがあったみたいで『あんたらは悪いことしんさんなよ』と言われたりもしましたけどね(笑)」

--服作りはストレス解消

引っ越してきたのは大人だけでない。子どもにとっても新しい環境が始まったことになる。街中から山の方に移り住んでどんな変化があったのだろうか。

「子どもたちにダメということが減りましたね。前は道路が危ないから気をつけて!とかうるさく言っていたけど、ここは見通しがよくて遠くにいても見えるし、車が通っても知っている人の車がほとんど。遊びに行ってきていいよと言いやすくなった。そういう意味で、子も親も楽になりました」

お子さんは3人。小学校6年生の長男と4年生の次男、一番下が6歳の女の子。今回ループケアする服は、一番下の長女が優さんの弟の結婚式に出席する時に作り、着た衣装だ。1歳半で着たあとは、4歳頃にももう一度他の結婚式で着たという。

「服は長男が生まれてから作るようになりました。子どもの服をつくるのが好きで、本を見ながら見様見真似でよく作ってきました。手仕事、手作業が好きなんです。私が小さい頃、母が私の服を作ってくれていた思い出も根っこにはありました。二人の息子にはかぼちゃパンツをたくさん作りましたね。でも小学校に上がってからは履いてくれなくなりました。なのでいまは一番下の子にせっせと作っています。服作りがストレス発散になっているんです」

下の子も小学校に上がり、手作りの服から離れていく日も近いかもしれないですねと話すと。

「そうなんです。残り時間は短いかもしれないので、次なるストレス解消法を見つけないといけないんです」

--父の仕事を子に見せる

「下の子は土曜日はお店の中で遊んでいます。お兄ちゃんたちはもう大きくなったので、帰ってきたら挨拶だけして家にいますね。下の子は仕事の様子を見ているからか美容師ごっこをしたり、『お電話ありがとうございます』と予約電話のマネをしたりしてます(笑)」

お父さんが休みの日に家にいることも、子どもの用事に付き合うこともなかったところから、柔軟に対応できるようになり、両親が働いている姿を見てもらうこともできるようになった。

「お父さんの仕事を見てもらえるというのがいいですよね。お父さんて毎日遅くて、帰ってきてもお酒を飲んで寝るみたいな、お金を稼いで帰ってくるだけの人になって、お金でしかありがたみを測れなくなってしまう。でもお客さんの髪を切って、喜んでもらっている姿を間近で見たりできるとお父さんの人間としての存在感が湧いてくると思うんです。街の頃は、そもそも遊ぶ時間もあまりなかったですから。こっちに来て薪割りや畑仕事、車の修理とかで男手が必要だなと思うことが多くて、男の子の二人に父のそういう背中を見せれるのもいい。何でも自分でやっていけるんだよと」

以前の家は優さんの実家が近く、10分程度のところに両親が住んでいた。そのため、頻繁に会えていたし、何かあった時にも預けるという選択ができた。ただ頼れる存在であることに甘えていたと優さんは話す。

「近かったので頻繁に会っていました。というか頼っていました。頼りすぎていたくらい。何かあったらじいちゃん、ばあちゃん家。それを繰り返していたら『自分たちの子どもなんだからちゃんと見なさい』と叱られました。預けすぎだって。それもあってこっちに来てからの方が関係も良好。この引越しは私にとっても親からの独立という意味があったんです。独立するのがだいぶ遅いですけど(笑)。母は専業主婦だったから、自分ひとりで子どもをずっと見てきたんですよね。だから私は見てきたのにあなたは、という思いもあるんだと思います。でも私は違うんだ、ちゃんと子どもを見たうえで仕事もしたいんだという思いもあったわけです。子育てと同じように自分として生きることも大事だと思うので。欲張りなので同時進行的に全部やりたいと思ってやっていたら、結果母に頼りすぎてしまっていた」

働くことと、生活することのバランスを取ること。自分たちで自分たちのことを決めていくこと。社会の慣例に疑問があれば、違う行動を起こしてみること。峠家には現代を生きるうえで考えなくてはいけないことが様々に詰まっている。

「結果いろいろなことがうまくいきましたけど、最初は不安もありましたよ。二年目くらいに大雪が降って、お店を開けていてもお客さんが来れない。冬中このままじゃやばい、何か違う仕事とか副業も考えたほうがいいんじゃないかとかも話していましたから。冬が明けて春になったらお客さんが戻ってきてくれたんですけど、あの時期を振り返ると、過去あのくらい長く休んだことがなかったんですよね。だからそれはそれで楽しくて。今度大雪で休みになったらこれをしようあれをしたいとか考えていました。そこから二年間はひどい雪がなかったんですけど。そのくらい余裕を持てるようになったんです。毎日のお客さんでお金を稼いでいる仕事だから自らは休めないけど、自然がもたらしたどうしようもない日は素直に休もう、困難も楽しもうと。そういう心の受け入れ体制ができてきて、おおらかになってきました。コロナの時もやらないほうがいいと判断した時期は二週間は完全にお店を閉めました。それも雪休みを経験したことや家賃がかかっていなくて、食べるものだけあればどうにでもなるという環境に移ったからなんですよね」

どうも今の所いいことしか聞こえてこない。困ったことはないのだろうか。

「田舎はどこもそうかもしれませんが、人間同士の距離がすごく近いというのはあります。人が勝手に家の縁側にいたりするから(笑)。最初は違和感があって距離のとり方が難しいと思いました。昔ながらの村の集まりとかもあって、25日は必ず13時半から集まるんですよ。最初はその日はお客さんの予約が入っているけどどうしようとかモヤモヤしていましたけど、最近では、今日はお客さんがいるから出れませんと言えるようになってきた。慣れるまでは大変だったけど、住めば慣れるんですよ」




--峠優さんのアルバムが完成しました

峠優さんの長女のための手作りワンピースをループケアし、アルバムに仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

峠優

美容師

1983年広島生まれ
高校を卒業後美容の専門学校を経て美容師として働き始め、25歳でスタイリストとなる。
結婚出産後も家事育児と両立しながら仕事を続けるが、夫婦共にその暮らし方に限界を感じ、北広島への移住を決める。
現在は、3人の子どもを育てながら、夫と「峠の美容室」でスタイリストとして顧客への提案をし続ける。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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