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櫻木直美さん

長女の入園時に作った
レッスンバッグ

20.08.28
HIROSHIMA

フェアトレードのオーガニックコットンを使い、カラダを締め付けない形にこだわったオリジナル肌着や布ナプキンを製造販売するマアル。扱う商品の会社のポリシーや姿勢まで含めて厳選するマアルを立ち上げて今年で10年になる櫻木さんは、娘と自身のアトピーがきっかけで今があるという。むしろアトピーに感謝しているとまで言う櫻木さんの奮闘の歴史。

--転勤族が行き着いた広島

川沿いのビルにあるマアルのショップは、窓越しの風景がとても心地良い。

「広島に住んで今年で15年目です。生まれは横浜でしたが、東京、大阪と引っ越しました。父が転勤族だったんです。しかも私が結婚した相手も転勤族で、転勤5ヶ所目で行き着いたのが広島でした」

最も長く住んだのは大阪だが、広島が追い抜いていくことになる。

「親戚も一人もいなくて、縁もゆかりもない広島にこんなに長く住むとは思いもしませんでした。広島はすごくいいんです。大好き。実際はどこに住んでもそう思えるタイプなんですけどね(笑)」

1971年生まれの櫻木さんは、現在シングルマザー。20歳と16歳の二人の娘がいる。ふたりとも生まれは関東だが、広島弁は実質ネイティブだそうだ。

--娘と母の壮絶なアトピーとの戦い

櫻木さんがマアルを始めたのは、広島に来てから。ただマアルをやることになる基礎は長女が生まれた頃にまで遡る。

「28歳で出産した長女が、もうすごい重症のアトピーでした。血液検査をしても卵や牛乳のような一般的なアレルギー反応の数値はゼロで原因はわからず。痒さを抑えることもできず掻きむしってしまって液やら血が出ていました。代われるもんなら代わりたいと本当に思っていた日々でした。そうしたら、なんと私が30歳になったある日、全身同じような感じになってしまった。名医がいると聞けば各地に抱っこして廻っていたんですけど、親子でなるのならもはや体質だと諦め、長い目でいっしょに生きていく感覚になりました」


もちろん医者にだけ頼っていたわけではなかった。食いしん坊の櫻木さんは、マクロビオティックにはまり食事療法に力を入れる。勉強を始めたことで広がっていく世界が楽しくてしかたなかったそうだ。

「例えば無農薬野菜の世界を知った時も、その考えや味に驚き、喜び、今まで関心がなかったことがぶわーって広がっていきました。子育ても自然な子育てをしたいとか、そこからナチュラルでオーガニックな世界が開けてきたんです。肌の見かけは変わらず大変で、すごい状態だったんですけど、毎日新しいことに夢中でした。私、子どもの頃から人種差別とか大嫌いだったんですね。「We are the world」に没頭して、初めて行ったコンサートもマイケル・ジャクソンでした。世界平和とか繋がりとか、そういうことが多分すごく好きだったんです。そうした無意識の興味が無農薬やマクロビの世界として現れて、いっぺんにガチンと繋がっていったんだと思います」

決して新しいだけのものだったのではなく、櫻木さんが元々持っていた個性や資質のようなものが、新しい見え方をして現れてきたという感じなのかもしれない。

「娘はこう言うと怒るんですけど、私はアトピーになって感謝してるんです。若い頃は肌のトラブルはなかったけれど常に疲れて冷えていました。『だるい』『疲れた』が口癖だったけど、今はもうお陰様ですごく元気。いろんな人たちと出会い、ものづくりを頑張ってらっしゃる産地の人と繋がって、楽しくストレスがないからでしょうね」

ただ当時、のめり込んでいくことと、アトピーの改善はそう都合よく一致はしなかった。何が理由かはわからないが、取り組めば取り組むほど症状は出てしまっていた。

「肯定反応とか思ってたけど、実際は大変でした。でも暴走するのが好きなんでしょうね(笑)。今、娘に関しては見た目で気づかれることはないですね。でも、たまに症状が出るので体質はあるんだろうと思います。私もですが、波がある。その後、夫とは離婚することになるのですが、その時もすごかった(苦笑)」


--かゆくないものをと作ったものがもたらした好効果

マアルの前史としてのアトピーとの戦いがあった。自然療法や環境のことを考えるようになった櫻木さんは、アトピー対策を兼ね、活動の延長で布ナプキンを作って配っていた。

「広島に引っ越してきて、マアルを始める以前、環境活動に夢中になっていた時期がありました。ボランティアで映画の上映会をやったり、マイ箸袋を作ったり、仕事というより趣味で3年ほど続けていました。そこで布ナプキンを作っていて、材料費だけもらって作り、みんなに渡していたらいつの間にか忙しくなってしまった。楽しいけど子どもたちもまだ幼稚園なのに、お母さんがあまりに夢中で忙しそうにしている。こうなったら、名前をつけてちゃんと仕事にしようとマアルという名前で開業届を出したんです」

“マアル”は、まあるく繋がろうということから名付けられた。個別のことを頑張るのではなく、「いろいろなことを程々にやりながらまあるく繋がることで、やんわりと、許し合ったりしながら、まあるくいくんかな、と思ってつけた」と櫻木さん。

「オーガニックコットンは環境問題というよりも、娘や私が何を着てもかぶれていた中で、何がいいかを模索して、試しまくった結果出会ったんです。どんどん肌に触れるところのかゆみが減っていって、逆に外に出てるところがかゆさがありました。マアルはパンツも布ナプキンもかゆくないという視点で作っているんですけど、いざ販売してみると、かゆみだけなく冷えやむくみ、生理痛など、独特の締め付けない形がいい方向に働くことがわかったんです」

足の付根である鼠径部は大動脈もリンパ節もある。血液の循環や代謝にとって非常に大切な場所だ。

「満月パンツと呼んでいるパンツは、いつも足がむくむ人から締め付けないことでむくみが変わったという声がすごかった。うちのパンツはオーガニックコットンで、ふんどしをもとにした締め付けない独特の形に発展させています。私は縫い目もかゆいので、縫い糸もオーガニックコットンで、レースも生地も柔らかいオーガニックコットンにしています。大学と一緒に調査研究したら、平均して1.5度から2度も下半身の体温が上がってたんですよ」

締め付けないことによる効果は簡単にイメージできたが、オーガニックコットンであることと冷えに関係があるとは知らなかった。

「一般的な下着はフィットさせるために伸縮性の高い化学繊維を使うんですが、化学繊維は静電気を起こすんです。冬になって乾燥してくると帯電してしまい、血管の中の鉄分が酸素を運びにくくなり血流が細くなるんだそうです。オーガニックコットンは静電気の発生率が低くて、締め付けがないから冷えが違う」

--肌着と布ナプキンで得た自立

櫻木さんがマアルを始めた頃、まだ結婚していたこともあり、これで食べていこうとはまでは考えていなかった。離婚に至ったのは、2011年の東日本大震災を経験してからだった。

「マアルを始めて1年、2011年に東日本大震災がありました。その前から5、6年は夫婦関係に悩んでいたんですけど、『もういいか、ここまで考え方が違うんだから決定的だな』って。誰しも理由はひとつじゃなくて、チリのようにいっぱいあって積もっていく。2011年まではどうにかこうにかやりくりしていたけど、もう誤魔化しきれないという感じでした。マアルは1年目で売上も全然なかった。でも、一回思いっきり取り組んでみて駄目だったら諦められるけど、どこかで就職して子ども2人を育てていくイメージがなぜか持てなかった。うちの両親に、貯金を切り崩して生きていくから申し訳ないけど3年間だけ黙って見守っていてくれと頼みました。長女が中学校に上がる時に離婚したので、この子が中学校を出る間までに食べられるようになっていなかったら、さすがの私でも諦めるからと。そして3年後、気づいたらどうにか食べていけてるくらいまで成長していました。危ない橋でした(笑)」

手伝ってもらっていた二人のママ友に多くはないがお給料を払うと、あとはもう家賃と次の仕入れで売上は消えていたという、いわゆる自転車操業状態が最初は続いた。3年が過ぎて娘ふたりを育てられるところまでいき、10年を経たいまも売上は伸び続けている。

「例えばユニクロに行けば、3枚1000円とかで下着が買える時代に、1着3、4,000円もするパンツを買う人は、肌が弱いとか悩みがある人だけじゃなく、私たちがフェアトレードのオーガニックコットンを使っていることや、コットンを栽培する人たちにも正当な賃金を渡すというストーリーをちゃんと見てくださってる方が多い。爆発的には売れないけれど、一度買って同封して送っているパンフレットを読み、気持ちいいからまた買ってくれる時には、背景も支持してくださってるような気もします」


今回アルバムにループケアをするのは、仕事に明け暮れていた櫻木さんとアトピー含め苦楽をともにし、大きく育ったお嬢さんが使っていたレッスンバック。

「手作りなので、恥ずかしい……。下手くそで、お見せするのも汗が出ます(笑)。手作りを夢中でやっていた頃のものですね。服でも何でも作っていました」

「これは幼稚園に上がるときのレッスンバックです。長女が2000年の2月29日生まれなんですが、いわゆる2000年問題があって、病院もその日のある時間はパソコンをシャットダウンしなくちゃいけないとか大騒ぎの日だったのを思い出します。低体重児で、3歳で保育園に入った時もまだまだ赤ちゃんのようでした。しかもアトピーの治療で何軒も病院をたらい回しにして、その都度血液検査を受けていたら、仕方ないんですけど、すごい人見知りになっちゃって。このままで幼稚園に行けるのかなと思いながら、どうにか楽しんでもらいたいと思って、このレッスンバッグにアップリケをしたんです」

しかし、残念ながら幼稚園はうまくいかず、あっという間に休むことになってしまう。夏休みの間に同い年の幼稚園の子たちが近くの公園で一緒に遊んでくれたことで、人見知りも消えていった。

「その頃、子どもにコミットしすぎて、結果がこじれたのかなとも思ったりしてます。体を掻いてしまっている子どもを見ていられなくて。だから、マアルにそういう悩みを持ったお母さん、お父さんがいらっしゃったらもう気持ちだけは十二分に共感できる」

母親が抱え込んでしまう悩みは共感してもらえるだけで、その負担は圧倒的に減っていく。子ども自身やりたいわけではないのにどうしてもやってしまうこととなれば、みな無力感に苛まされてしまっていたに違いない。

「その頃、アトピーの子を持つ親のグループに入って情報を共有していたんですね。その中のひとりが、『夜中に子どもが掻いてたら、私だんだん怒っちゃって』と言うので、あぁそうだよな、他も一緒だよなとホッとしたんです。夜中起きているのも怒るのも、私だけじゃないんだって。夜中に起きた時、あのママも今頃起きてるかなとか思ったりして安心していました。そういうコミュニティは大事だとその頃すごく思ったし、今のお客様を見ていると、ネットで検索して深みにハマりどんどん重たくなってらっしゃる感じがします。助産師さんに来てもらって無料相談室をやったりしていて、ネットだけじゃなくてリアルにきて声を出したらホッとできるんじゃないかなって。私考えすぎてたかな、とか思えたり、やっぱり病院に行こうとなったり、背中をちょっと押して動き出せるような場所になったらいいなと思っています」(コロナウィルスの流行前にお話を伺っています)

自分が経験した苦しみ、悲しみ、そして喜びと安心。モノを通じてやりとりするのは金銭だけでなく、思いや経験、共感までとても多様で暖かくて希望があるものだった。娘さんのバッグはそうした仕事の原点を思い出すものでもあるだろう。アルバムになった時、どんな写真で思いをまとめるのか楽しみだ。






--櫻木直美さんのアルバムが完成しました

櫻木直美さんの長女の入園時に作ったレッスンバッグをループケアし、アルバムに仕立て直しました。

--生まれ変わったアルバムを手にした櫻木さんからうれしい感想が届きました

子ども達が小さい頃を詳しく思い出す余裕もない日々でしたが、
インタビューにあたりこのカバンを選ぶ作業をしながら、
当時のことがたくさん思い出され胸がいっぱいになりました。
折しも長女が今年成人し、マアルは10周年。
偶然とは思えないほどの大きな二つの節目に形を変えて登場したアルバム。
中はまだ真っ白、これからどんな写真が加わるか長女に託したいと思います。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

櫻木直美

株式会社マアル 代表取締役 

1971年横浜市生まれ。
関西の短大を卒業後、自然物をCGで表現することにとてつもなく魅力を感じデザイナー専門学校へ。
卒業後、広告制作会社に勤務。
長女に続き、自身も30歳を過ぎてアトピー性皮膚炎を発症した事がきっかけで、自然療法や環境問題に興味を持つ。
2010年フルオーガニックコットンでのオリジナル肌着ブランド「マアル」を開業。
2019、広島市中区に移転。事務所、ショールーム、自社縫製工場が一体化した空間「素」souとしてオープン。
2020年春に創業10周年を迎える。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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