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戸川幸一郎さん

描いて拭いて汚した
仕事着のパンツ

18.12.08
HIROSHIMA

絵画造形家、戸川幸一郎さんは江田島に移住し、アトリエ付きの居を構えている。ゆったりとした時間が流れる島での作品制作を中心に、子どもや高齢者、障害者など様々な人に美術の楽しさ、おもしろさを伝えるワークショップを行う活動も行っている。勢いで流れるように美術の世界に入った戸川さんの創作と子どもと美術をめぐる環境のこと。

--勢いと流れで行き着いた美術家の職業

宇品港からフェリーに乗って江田島へ。絵画造形家の戸川幸一郎さんは、アトリエのある自宅で娘さんと二人で暮らしている。アトリエに入ると、壁や棚には手法も素材も様々な作品が無数に置かれ、飾られている。

「手法は何でもやります。木彫も油絵も水彩も版画も。美術全般って感じですね。」

76年、呉市生まれ。高校卒業までは他の同級生と変わらない道筋をたどっていたのだが、大学に進んだ頃から少しずつ変化が現れ始める。

「大学に進んだんですが、おもしろくなくて2カ月くらいで辞めました。その頃、本当は料理の道に行きたかったんです。流れで入ってしまった大学を辞めた後、やっぱり自分がやりたい気持ちがないとダメだと思って、楽しそうだった絵なら続けられるかなと思って美大受験の予備校に入り直しました。絵を始めたらどっぷりハマった。美大も一応受けたんですけど受からず、その勢いでフランスに留学。向こうで語学勉強と制作をして、半年ぐらいで帰ってきてから美術の専門学校に入りました。版画専攻で、卒業後はずっとフリーで今までやってきています。」

普通の大学生から美術の道へという流れをダイジェストで語ってくれたのだが、かなりの勢いと流れにのった形で美術家という選択をしていったのがわかる。

「予備校では石膏デッサンをひたすらやっていたんですが、描けば描くほど思った以上に上達していく自分がいました。それがすごく楽しくて、どんどん描く、上手くなる、楽しい、また描くとなって、この感覚から抜けられなくて続けていました。ところが、深く考えずとりあえずアートならと思って行ったフランスで、美術館を回ったり、デッサン会に参加したりして、いかに自分にセンスや知識、経験がないかということに気付いてしまって。正直打ちのめされて帰ってきました。」

得意だと思っていたデッサン力とは違った部分で、戸川さんはショックを受けたという。

「すごい作家さんに出会ったとかいうわけではないんです。ただ僕がデッサンしかやらず、世の中の作品を一切観てこなかったこともあって、いざ自分で自由に描こうと思い始めたとき何もできない自分がいたんです。これはまずいと思って帰ってきて、勉強したほうがいいと思って専門学校に入ったんです。」

--バイトを辞めて美術の仕事だけで飯を食う

美術の勉強をして、さまざまな手法を学んだが、美術の世界でお金を稼ぎ仕事としていくのは多くの人が夢見て挫折してきたことであり、簡単ではないはずだ。

「じゃけえ、イベントがあると聞くとそこに行って似顔絵を描いたり、絵の教室をやったり、講師業をしたり。最初はもちろん厳しかったけど、美術の仕事しかしないと決めて、逃げられないようにバイトも辞めて、とにかく美術の仕事を取ろうとしたんです。とはいえ、最初の頃はその日暮らしみたいな感じでしたね。」

そうした仕事と並行して年に1回ほど個展に行っていた。最初の頃から作品が売れていくということも手伝って、戸川さんは自分の自由な制作を続けてきたが、テーマを“子ども”ということだけは変わっていない。

「デッサンが得意だったことが災いして、小手先で描くようなつまらないものばかりになってしまったんです。何とかしたいと思って考えたのが絵本でした。思い通りにならない偶然性のある版画をやっていたこともあるんですが、自分でコントロールしきれない柔軟性みたいなものが身に付いて、それを受け入れられるようになったことと絵本の世界が合わさって、子どもというテーマが決まってきました。子どもを表現するためには、下手に技術や知識を持っていない世界観や勢いが必要な気がしたんです。」

上手くなることでできないことがある、もしくは上手に描けるということがそのままいいことではないというのは、実践し続ける人だからこそ感じることなのかもしれない。

「子どもみたいな絵を描きたいわけではないんですけど、あの気持ちで描きたいというのがあります。子どもたちから、そういうことも学びましたね。ある技法が慣れてうまくなり始めるとやめるんです。だから先程話した木彫も陶芸もやってきましたが、大体サイクルがあって一定期間やるとやめて次のスタイルに行くというのを順繰りで回して続けています。」

--絵本という表現手段

2005年、29歳で始めて絵本を出版した。この絵本を描くまでの期間が戸川さんにとってしんどい時期だったという。

「子どもというテーマはありつつ、思うように描けるときと描けないときの差がありました。表現とテクニックのバランスが悪くて、表現の部分が追いついてくるまで試行錯誤が続きました。
美術の世界は、油絵なら油絵、彫刻なら彫刻をずっとやる感じがあって、それも崩したいと思っていました。やりたいものをやろうと。絵本の文章を自分で書いているのも、そういう意味があります。でも最初は、自分らしさを探して試行錯誤してたので硬さと暗さがありますね。」

子どもというテーマ、絵本という領域を発見し、作品を作ってきたけれど、確かに2005年に出した最初の絵本は暗さがある。一方で、その後2016年に出した絵本ではずいぶん明るい印象に変わっている。その変化には、自身の娘さんの存在があった。

「美術を勉強してきたことで、キラキラとした華やかなパステル調に対する抵抗感というか敬遠する部分がありました。それが、子どもが生まれてからは使えるようになった。あれは自分の中で大きな殻が取れた感覚でした。というよりも、そういう変化を受け入れることができたということが、大きな壁を乗り越えた感じがしたんだと思います。今はどんどん自由に描けるようになっていて、とにかくつくることが楽しいですね。」

子どもを描こうと思ったら、子どもを知りたいとも思い始め、子どもの教室を始めようと思ったら、やらないかとお話しが来たりしたという。そして、24、5歳頃から子どもの教室をやり始める。

--子どもに積極的に汚してもらう

ループケアするパンツもアトリエで子どもの教室をやっていた時に履いていたものだ。

「この前ライブペイントをした時に履いたのが最後でした。6年近く履いたと思います。アトリエで子どもの教室をやる時によく履いていたんですが、アトリエに来た子どもたちに、『ちょっと色塗ってや』とか言って新品のパンツに描いてもらったりもしました。絵の具の跡は、子どもがつけたものと、僕が自分の手に付いた絵の具をそのまま拭いたりしてつけたものが混ざっています。」

見慣れないぐるぐると巻き付けたようなリペアの跡もある。

「ぼこってなっておもしろいかなって」

戸川さんが教室をやるのは子どもに限らない。高齢者施設や障害者施設にもたびたび訪れ、一緒に絵を描くなどしている。

「呼ばれればどこでも行きますよと言っています。保育園の先生の美術指導とかもあります。子どもからご老人まで。だから何でも勉強です。自閉症の勉強や心理学や身体の本も読んでいます。結局、美術だけ教えたらそれでいいわけじゃなくて、やっぱり人の心や体の問題を全部含めて見ていったほうが結果として楽にできる。でも全然勉強不足でずっと続けています。」

自分だったら、大人になって急に絵を描いてくださいと言われても不安も恐怖も感じてしまいそうだ。

「人って、自分で何かをつくる喜びがあると思うんです。達成感とか、同じ空間にみんなと一緒にいるとかも含めて。でき上がった作品よりも過程をとにかく楽しめるように進められれば、絵が思うようにうまくいかなくても、楽しかったねで終われる。美術が嫌いと言う方はいっぱいいます。特に高齢者の方に多くて、『ああ、もう嫌だ』『絵は描けんぞ』みたいな。美術教育で挫折したという認識があって、それを引きずっているんです。それは結局美術教育のあり方の問題で個人の問題ではない。指導する側がどういう指導をするかが問題だと思っています。だから僕、1人でもうまくいかなかった子がいたら、それは自分の責任になります。そのぐらい指導者の役割や影響力は強い。いかに苦手意識を感じさせないようにするか、そこだけはいつもすごく考えます。」

--娘と絵を描く環境づくり

戸川さんのお子さんの光(みつ)ちゃんは、小学二年生の7歳。絵が大好きでいつも絵を描いているという。まさに親の環境の賜物なのだと思われるが、自分の子どもに対してはどんな接し方をしているのだろうか。

「娘が絵を描いていても絵についてはほぼ何も言いません。「すごい楽しそうだね」とか、「まだやるん?」とか言うとなお頑張って描く、みたいなちょっとしたテクニックはあります。その声がけだけしておけばいくらでもやっています。あとはいつでも描ける環境、つくれる環境を用意しておくというのはありますね。描きたいと思ったときにすぐ描けるようにしてあげること、それが一番身に付きやすい。娘の好奇心を阻害しないようにしています。娘が描いた僕の顔。僕の経験からすると、6年生が描いてもおかしくないレベルです。娘が特別ということではなく、たまたま娘は環境があって好きでずっと描き続けてきた結果なだけ。だから環境づくりも含めて保育園とかでもやっていってほしいなと思っています。」

絵筆の使い方のうまさはもちろん、顔を目で捉え、手にその感覚を伝える観察力と集中力がすごい。

「観察ができるのはすごいことです。見る力と、それを紙に落とすだけの集中力なんですよね。やっぱり小さい頃から自分が楽しいからという理由で集中して遊んできた積み重ねが観察力につながる。いくら幼児期にデッサンをやらせても、いやいやじゃ身に付かない。でも表現活動を含め、体全部を使った遊びをやり込んだ子は、自然に描くようになるんです。でもこういうことを言ってくれる美術の専門の先生ってなかなかいないんですよね。」

--家族の応援、声援、そして演奏

傍らでお父さんの仕事を見続けてきた光ちゃんはお父さんの仕事をどう思っているんだろうか。自分も好きな絵を描き続けている大人は、なかなか周りにはいないはずだ。

「いつも好きなことをやって楽しそうと思ってるみたいです(笑)。僕も彼女に『おもしろいよ、この仕事』と言ったりもしていて、光も絵描きになりたいようです。僕としては、絵描きになってほしいとは思っていないんですけど、自ら望むならある程度の道はつくってあげたいなとは思っています。」

離婚している戸川さんは、ひとりで娘さんを子育てし、同じ島に住むご両親が時々手伝いに来てくれている。話を聞くとおもしろいふたりのようだ。

「父は仕事を転々として最終的には運送業でした。母は看護師で堅い仕事。堅い仕事をしていましたけど、僕がフランスに行くと言うと、母は『おお、行きんさい、行きんさい』と言ってくれて、逆に仕事を転々としていた父は『心配だ、行くなや』って。逆ですよね(笑)。というのも、母は趣味で絵を描いてた時期があったそうなんです。父は18歳から趣味でバイオリンをずっとやっています。だから美術に対する偏見は少なかった。個展をやるようになってからは、父が毎回ちょっとしたミニコンサートをやっています(笑)。うまくないんだけど、すごく味があっていいんですよ。ヨヨヨって震えながら弾いてます。」

毎回それを楽しみに来てくれる人もいるそう。曲目はその時その時で変わり、覚えたての曲もあれば演歌もあり、作品展のテーマとは関係ないものが奏でられる。

「弾いてる姿がいいんですよ。泣けてくるというか哀愁がある。ピカイチですね。」

お父さんは、鉄鋼関係の仕事をしていた時、機械に巻き込まれて左手の指が1本ない。3本で弾く技を身に付け、今ではバイオリンの教室もやっているという。伯父さんも同じ仕事で指をなくしたが、その伯父さんもギターをやっており、2人兄弟でデュオコンサートも個展で行うこともあるそうだ。

戸川さんの個展が行われる際には、ぜひそこに合わせてお邪魔したい。




--戸川幸一郎さんのジッパーシェルフが完成しました

戸川幸一郎さんの描いて拭いて汚した仕事着のパンツをループケアし、ジッパーシェルフに仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

戸川幸一郎

絵画造形家

1976年広島県呉市生まれ
高校を卒業後、大学に進むもやりたい事とのギャップが感じて中退する。
その後、日本以外の文化を体験すべくフランスへ留学。帰国後には銅版画を専門的に学び絵画造形家としての活動をスタートさせる。
美術のカテゴリーを一つに絞らないスタイルで、油絵、水彩、彫刻、陶芸と幅広い。
2005年には、絵本の出版も手掛ける。
こどもから高齢者まで、そして障害のある人たちとも絵画で繋がるコミュニティを構築する、他に類を見ない絵画造形家である。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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