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藤岡聡子さん

兄弟で継いで着てきた
着物

18.03.08
TOKYO

二人の子どもを育てながら、多世代で暮らしの知恵を学び合う「長崎二丁目家庭科室」を運営し、介護や子育てと地域の連携を再構築する活動を続ける藤岡聡子さん。若くして両親を亡くしたことをきっかけに、自分を見つめ、家族を見つめ、社会を見つめてきた藤岡さんが、地域に見出した可能性とは。

--「死」だけに覆われてしまう状況の辛さ

1985年生まれの藤岡聡子さんは、早くにお父さんを亡くされている。

「私が小学4年の夏に癌がわかって、2年後の5月に45歳で亡くなりました。呼吸器専門の医師だった父が肺がんに罹って死んでいく。その時の父の気持ちは一生かかっても分からないかもしれません。」

過疎地域に診療所を立ち上げるなど医療に対して熱心な人で、子どもを腕に吊り下げるようなパワフルなお父さんだったそうだ。そんなお父さんの存在が「死」だけに覆われ、これまで生きてきた時間を忘れてしまうような状況が辛かった。

「死ぬことってものすごく寂しい。これ以上ない喪失の感覚です。亡くなる瞬間だけが強烈すぎて、がんが判明するまでの43年間という父の軌跡が寂しさだけに覆われ、父と過ごしてきたものがまるでなくなっちゃったみたいに、ただただ悲しい空気になっていました。すごく息苦しかったし、今思うと本当に勿体ないなって。お父さんってすごかったじゃんて、変なポジティブではなく、生きてきたよねということを捉えて送る気持ちになれたらもっと良かったのになって。私は、死がただ悲しいだけじゃないはずだって信じていました。」
「あの人、立派だったよねと他の人の言葉を家族が知るのは、いつもお葬式の時なんですよ。もうちょっと早く教えてくれたら本人に伝えられたのにって。死んじゃった後じゃなく、狭い地域でもいいから、立派だよね、そうだよねと家族も含めて肯定し合える環境があればいいなって。」

--人が亡くなっていく環境を良くしたい

お父さんを亡くした藤岡さんに、人が亡くなっていく環境を良くしたいという気持ちが芽生え始める。実際に動き始めるきっかけが社会人になったタイミングで訪れた。

「2010年、社会に出て2年目の時。大阪にいる友人が、祖父の土地を受け継いだから老人ホームを立ち上げると言い出したんです。私も介護の経験はないけど、人が亡くなっていく環境を良くしたい、その人その人の生きざまを刻んでいけるような、そしてそれをいろんな人たちが知れるような場所を作りたいと思って、友人と一緒に介護ベンチャー・老人ホームを立ち上げたんです。」

始めてみると、入所してくるおじいさん、おばあさんたちには当然いろんな人生があった。昔はバリバリのデザイナーですごくおしゃれなおばあさんも、認知症だからという括りで、かつて絵が得意だということが脇に置かれ、他の人と同じようにお花の塗り絵をしましょうという日常になっていく。

「結局老人ホームは約2年半で離れてしまうのですが、効率性ではなく、その人らしさをどこまで引き出せるだろうという視点は、今もずっと変わっていません。とはいえ、現実として効率は大事なことでもあって、夢物語ばかり言っていられない。だけれども、目の前の入所者との接点をみんなで解いていきたかったんです。結果としてはそこまでできませんでした。2年半必死にやってできないなら、もっと子どもたちや地域の人たちがご老人の方と行き交うような環境に作り変えたらどうかということを考えるようになりました。」

ケアする側とケアされる側にはっきり分かれてしまう介護や福祉の現場を、もっと混ぜてしまおうと藤岡さんは考えた。老人ホームの敷地内にカフェを作り、健常者と障害のある子たちが一緒に過ごす学童も作ろうと考え始めていた矢先、長男を妊娠する。

「点滴打つくらいにもうむちゃくちゃ悪阻がきつい妊娠で、現場にいられなくなってしまいました。」

そして安定期に入った頃、お母さんの末期癌が見つかる。お父さんのこともあり、家族をしっかり見たいという思いで、夢半ばにして仕事から離れることに。悪性リンパ腫だったお母さんは、お父さんより短い1年半の闘病期間で亡くなる。お母さんは初孫が産まれると分かったタイミングで自分の癌を知り、孫が10カ月の時に亡くなった。

「20代は本当に悩みました。26歳で一人目を産んで、夢半ばにして介護ベンチャー・老人ホームの仕事を離れ、母を看取った寂しさもあり、本当に苦しい20代でした。本当に苦しかったんですよ。本当に。介護ベンチャーを抜けてITベンチャーの立ち上げに参加したんですが、全然仕事が合わずどうしたらいいかわからなくなっていたんです。あっという間に母の3回忌を迎えました。」


--喪失と誕生、そして新しい場作り

29歳で下の子を産んだ藤岡さんは、長男と生後2カ月の子を連れてデンマークに短期留学をする。デンマークの人びとにとって、暮らしにおける福祉はどんな存在なのかを見に行くためだった。母を看取りもう介護の仕事はしたくないと思っていたが、最後に訪れたのは高齢者施設だった。

「認知症のおじいちゃんが、下の子を見てはっきりと『いくつだ』とか『めちゃくちゃかわいいじゃないか』とクリアに喋ってたらしいんです。介護士さんたちから、おじいちゃんすごい元気であの瞬間だけ背筋が真っすぐになってた!と言っていて、その時すごく自分の中に感覚が戻ってきたというか、もう一度介護福祉の現場に戻ろう、始めてみようと思ったんです。それで、30歳になった日にReDo (http://redo.co.jp/) という会社を作りました。それから豊島区椎名町のこの場所に出会い、高齢者には限らずその人らしさや役割を持って、『私、意外とこれについては先生って言われるねん』みたいなことをもっと当たり前にしたくて、そういう居場所を実現してみたいと思っていたんです。」

そして、「長崎二丁目家庭科室」が誕生する。お茶を飲むだけのコミュニティカフェという形からより踏み込んでいて、それでいて自然なかたちで、おもしろそうな場所を作りたいと考えた。出会った場所は、元とんかつ屋で現“ミシンのあるお宿とカフェ”だった。

【シーナと一平】(http://sheenaandippei.com/)は、元々とんかつ屋だった場所をリノベーションしたミシンのあるお宿。聞いただけでわくわくしませんか? ミシンは、お宿とミシンのあるカフェをやりたいというのが運営のスタート。立ち上げた代表がインテリアデザインの会社を経営しているんですが、彼の実家が岡山にあって、岡山にあるご両親の会社ではここに飾ってあるようなカーテンを作って販売しているんですね。ここに飾ってあるものは彼のお母さんの手作りで、マリメッコの生地もあれば、どこかで買ったいい感じの生地もある。世界の布を世界から来る宿泊客が地元の人と縫うことで、交流を持ってほしいという思いで始まっているんです。だからミシンがあるお宿。私自身ミシンは使えないんですけど、ミシンいいな、家庭、暮らしだな、みたいなことを思った時に、近くに住んでいる元家庭科の先生だった女性に出会ったんです。家庭科ってすごいおもしろいのよみたいなことを教えてくれて、わぁ変な人だ(笑)と思ってたんですけど、それが自分の思っていたわざとらしくない場作り、誰もが役割を持って集って結果として多世代だったとか、結果として車いすの人が来たけど、みんなで編み物してたとか、そういう状況を作れる“家庭科”というキーワードはすごくおもしろいかもしれないと思ったんです。ミシンがあっても列をなして使われるものでもないので、せっかくあるミシンを使うきっかけを作れたらという思いと、私が考えていた街の先生たちが教えるというソフトなコミュニティが相性いいねとなって始まりました。メインの入り口としては裁縫や編み物、料理などを考えていました。この街に住んでるお母さんやお父さんたちの持ってるスキルを生かして、教えてもらうこと。家庭科の括りの中で、暮らしの健康を自分たちで守っていくこともできたらと看護師さんに月2回来てもらうこともやっています。福祉については、介護や認知症のことを学ぶ会だったり、障害を持ってる作家さんにギャラリーとして使ってもらったりも。それが月曜から木曜まで、金、土、日は違う方が店主としてカフェなどをやっています。」

藤岡さんは施設による介護福祉ではなく、街や地域社会で担うべき介護福祉の役割を考えている。自分たちが住む街でどう老いていくかを自ら考え、用意していくような場所。声かけたら不審がられず、お互い寛容でいられるよう世代間の距離を埋めることをやろうとしている。

「町行く人同士は無理でも、もっと個人との関係を深められるといいなと思っています。編み物したいけど、YouTubeや本ではどうにもわからない。あそこに行けば、さとみさんとゆかりさんが教えてくれるから会いに行こうとなるような。好きな人はやっぱり通うし、興味ない人は来ない。全然それでいいじゃないと私は思ったりするんです。選択する時に場所の選択肢があればいいなって。」

--家に帰らず歩道橋で寝るような反抗期

笑顔が素敵で、初めて会ってもいつの間にか旧知の人のように話ができる藤岡さんだが、中学校時代の反抗期はなかなかすごいものだったそうだ。金髪で顔のいろいろなところにピアスがあり、家に帰らずに歩道橋で寝たりしたこともあるという。でも、特におもしろかったわけでもなく、本音ではお母さんとちゃんと話がしたかった。

「私の反抗期はもう凄まじかったですよ。父が亡くなって家族が悲しみに暮れているのがすごく嫌で家に帰らなくなり、中2の終わりぐらいから髪の毛が金髪になっていきました。本当は家に帰りたいし、母ともっと会いたいし、話をしたいんだけど、気持ちに行動がついてこなかった。中2から4年間は母と全く話しませんでした。だから母との間には、長い失われた時間があります。結局、中学校は学校には行くけど授業に出ず、高校は夜間の定時制に行きました。」

期せずして通うことになった定時制高校。藤岡さんは登校初日で心を入れ替えようと決める。

「今まで今の自分は本当の自分じゃないんじゃないかと思いながら、そういう友だちとつるんでいました。誰かに見てほしい気持ちがあったけど、本当に見てほしい人は母だったわけです。田舎の夜間の定時制高校はもう悪の巣窟です(笑)。私みたいな行き場のない人たちで多くて、年齢も職業もバラバラ。80代で小学校以来に勉強するみたいなおじいちゃんもいて、本当多様でした。今まで無理して全然楽しくない世界でカッコつけてたけど何てちっぽけだったんだろう、なんでこんなに張り切ってたんだろうと思い知って、足を洗ってちゃんとしようと、朝7時から5時までアルバイトして5時半から学校行く生活に切り替えて、髪も次の日に黒くしました。」

--母親との仲直りと死

あまりの突然の変化。でも実際は、きっかけを探していたのかもしれない。元の自分に戻り、母親とちゃんと向き合うために。

「長崎二丁目家庭科室のごちゃ混ぜ感の原体験は定時制高校なんです。多様なバックグラウンドの人たちがいて、自分を見つめ直して、立て直していった後、自然と母との距離も縮まりました。一度仲直りしてからはどんどん母と本当に仲良くなり、それ以来仲良くなり方がすごかったですよ。『お弁当ありがとう』のメールに始まり、『ちょっと好きな人いるねん』てすぐ言ってました(笑)。ずっと言いたかったんでしょうね(笑)。さらに毎晩一緒にお風呂に入って、本当に仲が良かった。」

それまでの間を埋めるような濃密過ぎるほどの時間。まさかその後、20代で母を亡くすとは想像もしていない。

「私が妊娠したとわかってから母の癌もわかった。ちょっとこれはドラマチックすぎるよって、正直思ってました。全然受け止められなかった。」

お父さんの時の経験を生かし、仲が良かったお母さんの友人から話を聞き、子どもを見てもらっている間に病院に行くなど、お母さんが生きている間にその存在をしっかり見つめながらの看病だった。お父さんの頃よりはできたかもしれないが、やはり心残りはあったという。

「多少は何かできたかもしれないけど、家族や本人は必死なわけです。だからこそもっと早い時期から地域がちゃんとあれば良かったなって。いつまでたっても当事者はクリアに、冷静に対応できるわけじゃないだろうから、それを受けるための周りがどう環境を作っていけるかってことだと思うんです。」

--母が子どもたちのために用意しくれた浴衣

今回アルバムにループケアするのは、藤岡さん兄弟姉妹が小さい頃に着ていた藍染の浴衣。

「母が、私が小さい時に着せてくれてた浴衣です。もしかしたら徳島の藍染めかもしれません。徳島って藍染めが有名なんですが、実は私の生まれは徳島で、1歳半まで徳島にいたんです。水たまりをすっぽんぽんで遊ぶようなヤンチャな子だった私が、3歳の七五三の時、この着物を着せたらお人形さんみたいになったらしいんです。母はそのことをよく話してくれて、『着物を着せた瞬間、本当に行儀がいい子になったんだよ』って。子どもながらに嬉しかったみたいなことを覚えています。」

これまでの思い出も、これから育つ子どもの記録も、地域の人びととの交流も、藤岡さんが残しておきたいことは数限りない。話して残ること、写真で残ること、映像で残ること。記録の保管先もいくらあっても足りない。

聞き手: 山口博之

写真: 小野慶輔

PROFILE

PROFILE

藤岡聡子

株式会社ReDo 代表取締役

1985年生まれ、徳島県生まれ。
夜間定時制高校卒業後、進学し24才にて介護ベンチャー・老人ホームの創業メンバーとなり、その業界の課題を知る。
結婚出産を機に、一旦介護の世界から離れるも再び福祉や教育についての学びを求め29才でデンマークへ子連れで留学する。
2015年株式会社ReDoを起業し代表取締役に。
2児の母としても多忙な日々を生きる。

聞き手: 山口博之

写真: 小野慶輔

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