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池田沙織さん

ふたりの子どもが着た
手作りの産着

18.05.28
HIROSHIMA

長崎市で生まれ、幼いころに父親を亡くし、母親の女手一つで妹と共に育てられた 池田沙織さん。ファッションデザイナーを夢見て上京し、東京の専門学校に入学。就職して憧れの職に就いたけれど、思い描いていたものとは何かが違った。そして結婚し、相手の実家である広島へ。池田さんの人生は、ある節目ごと大きな移動があった。

--デザイナーになるという夢は叶った。でも。

「広島に来たのは6年前の2012年。震災の1年後です」

話は遡る。高校卒業後、東京のバンタンデザイン研究所に通いファッションを学んだ。「ファッションが勉強できれば、福岡でも大阪でも東京でもどこでもよかった」が、結果的には奨学金に受かったこととチャンスがより多い街へと考えて東京へ。卒業するとコムサ・デ・モードなどを展開するアパレルメーカーのファイブフォックスに入社。コムサイズムというファミリー向けブランドの担当に配属された。

母子家庭で経済的に豊かとは言えなかったこともあり、東京での学生生活は学校とアルバイトの両立で忙しかったそうだ。

「夜中まで課題の服を作って、学校に行って、バイト行ってという毎日で本当に遊べませんでした。一方で遊んでばっかりで学校に来ない子もいっぱいいて、それが悔しかった。負けたくないから自分を奮い立たせながら、絶対デザイナーになるまでは帰らないと決めてがんばってました。ただ、それでいざ夢が叶ってデザイナーになれた後、あれ?と思ったんです。その先を考えてなかったんです、私。」

--不満は自分の創作へ向うエネルギーに

デザイナーになった池田さんだったが、担当したのは服ではなくアクセサリーだった。偶然の結果が、いまのアクセサリーデザイナーとしての仕事に繋がったという意味では、幸運だったということなのだろう。でも、いろいろやらせてもらっていた反面、なかなかうまくいかないことも多かったそうだ。

「しかも二年目で突然上司が辞めていろいろなことを自分でやることになったんです。他の子よりもいろいろなことをやらせてもらえて、今思えばそれはすごい恵まれたことでもありました。でもブランド的に、あまり自分の色を出るタイプじゃなかったこともあって、自分のデザインを入れると、それが駄目だと言われることも多かった。かわいいと思ったことがNGばかりで打ちのめされてばかりでした。」

そのストレスが、自分の創作としてのアクセサリー作りに変わっていく。

「その上手くいかないストレスをアクセにぶつけてたんです。週末は引きこもって好きなパーツで作って、誰にも何も言われない世界を作っていました。元々刺繍や染めが好きで、バンタンの卒業制作も装飾や加工に力を入れた作品を作って大賞を取ることができたんです。それが楽しくて止まらなくて、その世界でもっと何か作りたかったんです。狭い一人暮らしの家のテーブルでできる物はアクセサリーしか浮かばなかったので、服つくりのテキスタイル加工の流れでレースを染めてネックレスを作ったり、髪飾りをつくったり、思いのまま自由に作っていきました。会社で疲れて帰って、土日にアクセサリーを作って、という20代前半でした。」

--自分のやりたいことをやっていたら出会った夫

当時の旦那さんは広島の服飾専門学校を卒業し、就職で東京へやってきていた。出会いは職場、ではなく、職場のストレスをぶつけていたアクセサリーの展示を友人とやった時のことだった。

「自分なりに精一杯やっていたので、私や一緒に展示をやった友だちでたくさん声をかけて来てもらいました。そのお客さんのひとりとして来てくれたのが今の夫です。夫も働いていた職場で自分のデザインができていないことへのストレスがあったみたいで、実は俺もそういう自主制作がやりたいんだという話になって、その後、彼も途中から参加するようになりました。」

それぞれに仕事を持ちながら、睡眠時間を削り、自分の信じたものを作り、夢を語る20代中頃の日々。徐々にキャリアを積んでいき、できることも増えていった池田さんは会社の仕事に楽しさを見出し始めていた。8年勤めて30歳が見えてきた頃、旦那さんはこれからのキャリアを具体的に模索し始め、地元広島へ帰ることを決断。池田さんに、付いてきてくれるかと問いかけた。

「彼が、『広島に帰ることに決めた。どうする?』みたいないじわるな聞き方してきたんですよ(笑)。じゃあ行きます、と。もし私が当時の仕事で何か夢があれば、行かないという選択肢もあったかもしれませんけど、実家の長崎も近くなるし、もういいかなあと。」

行かないという選択肢があったかもしれないという言葉に多少ドキッとした。旦那さんが帰ることに決めた理由のひとつには、やはり東日本大震災も影響していたそうだ。

「震災後、やっぱり東京じゃない所で仕事しようと思ったみたいです。私もまたいつか怖いことがあるかもしれないと思うと、東京じゃなくてもいいのかなあという思いもあって、動かないといけないんじゃないかなと考えてはいました。」

--はじめての土地、広島へ。

2012年、広島に移住して結婚。翌年、新婚旅行で訪れたアメリカのロサンゼルスへ行ったのだが、ふたりはロスがとても気に入り、友人の古着屋さんが買い付けに行く際に同行する。池田さんは、そこでいまのアクセサリーの方向性を決めるモノたちとの出会いがあった。

「買い付けに付いて行って、そこでジャンクなアクセサリーのパーツを安くたくさん見つけて、これ組み合わせたら絶対かわいいと思って、探し始めました。ハンドメイドが流行ってものづくりということだけなら誰でもできるから、私にしかできないパーツの組み合わせはどんなだろうと考えていた矢先に見つけたジャンクパーツは、日本では売ってなかったし、買えても高い。日本でこれと刺繍とかを組み合わせて作ったら絶対ひとつしかないものができると思って、そこから方向性が今のようなアンティーク調になっていきました。最初はナチュラルなレースやリボンを染めたりしていたのが、今は金具や時計のパーツを使うようになっています。」

自分でアクセサリーを作り始めてからのここ10年、創作活動はいつもサブでメインにはなっていなかった。会社を辞めて広島に来てからも外注のデザイナーとして靴のデザインを手がけ続けていたのだ。
29歳で長男、32歳の誕生日直前に長女を産み、長女が1歳になる今年、靴のデザイン業も辞め、いよいよ自分の活動をメインとした生活に切り替えていくそうだ。

--二人で作った二人の産着

そんなかわいくてしかたがない子どもふたりが、産まれた直後に着た産着が、今回ループケアするもの。

「夫と2人で作ったんです。唯十(ユイト)と千檎(チコ)という子どもの名前が入っていますが、もちろん最初は唯十だけで、千檎の場所には別の文字がありました。二人目が生まれる時、一部を解いて千檎の名前を入れました。

「とりあげてもらった産院の先生がいい意味でちょっと変わっていて、母親学級で落語を披露してくれたり、イベント時は着ぐるみを着たり、ゴスペル歌ったり、産む女性が自分で撮影することを許可したり、“世界で一番幸せなお産をしよう!“という本も出版された先生です。
お産は痛くない楽しいものだという考えで、母親学級でその話を聞いて、私たちには何ができるかなと思った時に、2人とも服をやってきたし、服を着せたい。ただ着せるんじゃなくてメッセージを刺しゅうで入れようと決めたんです。英語で“お母さんを助けてね”とか“強い男になれ”とか。先生には『これまで何千人取り上げてきたけど、服持ってきたのはあなたたちが初めてだよ』と言われました。」

お話しを伺っている途中に旦那さんが保育園に迎えに行き、戻ってきた唯十くんははじめこそ人見知りしていたが、時間が経って慣れると元気に遊んでいた。

「唯十は、夫と一緒で盛り上げて場を楽しませようとするのが上手かもしれないです。自分がふざけて笑いを取りにいくみたいな。3歳なのに冗談を言ったり、うそをついて笑わせたりしてます(笑)。変な顔をしたり、変な踊りをしたりはお父さん似かもしれないですね。下の子はまだ小さいですけど、感じるのは全然動じないということ。兄からの激しいコンタクトに対しても動じず、泣きませんからね。プールに行って水をバーンてされても泣くどころか笑ってます。」

今の家は旦那さんの実家で、義理のご両親とともに生活をしている。唯十くんを産む1カ月くらい前まで働いていたが、家は広島市内だった。だが、わざわざ東京から広島に来たにも関わらず、部屋も特別広いわけでもなく、子ども仕様の家でもなかったため、さして東京と環境が変わっていなかった。広島市内での子育てにリアリティが持てなかったある日、義両親からこちらに来ないかという提案があった。

「確かに合理的だし市内の家にいる理由もないと思って決めました。いざそうしようと決断をした後、『田舎に行く覚悟はあるのか』と東京の友人や私の家族から心配されたんです。『東京にいた人が、あんな田舎で大丈夫なのか』と。覚悟って何だくらいにしか思わなかったですけど、実際来てみるとたしかに大変なこともいろいろありました。今話していて考えていたんですけど、私が動く時って、専門学校で福岡か東京か迷った時も、広島に来る時も、覚悟っていうよりどう考えてもこっちのほうがいいよな、くらいの選択肢で判断してきただけのような気がします。」

「自宅兼アトリエの自宅も、創作にも集中できる環境が整ってきたので、自分の好きなことがこれからできるようになるので楽しみです」

自然に囲まれた環境での子育て。子どもたちにはどんな子に育ってほしいと思っているのだろうか。

「夫とは“どこでもたくましく生き抜く力を育てたい”と話していますね。最近、夫がキャンプにはまっていて、テント張り、火起こし、料理など経験の中で、どうやってみんなと協力しながら過ごしていくのか、自分で考えて能動的に行動できる、生き抜く力みたいなものを身につけてほしい。ゲームとかじゃなく、自然のあるがまま自由で逞しい子になったらいいですね。 」
「下の子も基本は唯十と変わらないですけど、女の子なので“いつもニコニコ笑顔で愛嬌のある子になってほしい”と話しています。笑顔が素敵な人ってやっぱり人が集まるし、周りから愛される人になってほしいですね。今は見るもの、触れるもの、自然なものから様々な刺激を受けて吸収してもらえたらいいなと思っています。」

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

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池田沙織

アクセサリーデザイナー

1984年長崎に生まれる。
幼いころから服のデザインに興味を持つ。
東京のバンタンデザイン研究所を経て大手アパレルブランドのデザイナーへ。
結婚を機に夫の故郷である北広島へ転居。
同じデザイナーである夫と共にオリジナルブランド
「Atelier yuone」を立ち上げ、アクセサリー担当のデザイナーとして活動。
コンセプトショップとの取引きが多数ある。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

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