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藤島孝臣さん

沖縄に溶け込むための
泡盛Tシャツ

18.09.28
HIROSHIMA

グラスや一輪挿し、器にオブジェなど、出荷を控えた作品がたくさん並ぶ工房風景。千数百度もの高温を扱う工房内は、常に暑い空気が漂っている。20代半ばからガラス工芸作家を目指し、今では広島で活躍する藤島孝臣さん。苦しかった沖縄での修行時代を支えたTシャツと生き物のようなガラス作品制作について。

--今でも乙女ですねと言われることがあります

「子どもの頃からガラスの素材自体がすごい好きで、旅行に行くとガラスのミニチュア動物とかを買って集めたりする子だったんです。昔の古い窓ガラス越しの影もすごい好きでずっと眺めているような子でした。今でも乙女ですねと言われることがあります(笑)。大学を卒業して就職はしたけれど、次第に何か他にしたいことがあるんじゃないかと感じ始めて、ガラス工房へ見学に行った時、どろどろの状態からものの10分ぐらいでグラスの形になっていく様子が、すごくきれいでおもしろそうだったんです。あっ、これだと。ガラスをやりたいってそのときズキッときた。26歳のときです。」

ガッチリとした体格からはイメージできない少年時代のロマンチックな趣味世界。思い立った26歳当時は、自動車の板金塗装の会社で働いていた。器用だった自分の良さを活かせるのではと思っての就職だったそうだが、ガラスと出会い、ただ直すという作業に違和感を持つようになる。

「板金工場では約4年働きました。でもガラスと出会い、そこからガラスのことばかり頭にあって、どこで修行できるんだろうと考える日々。北海道の小樽とかも考えたんですが、海が好きだったこともあって海の近くで修行できたらいいなと思い沖縄へ。だから琉球ガラスが特別好きで沖縄に行ったわけではありませんでした。沖縄って飛行機だと2時間位で簡単に行けてしまいますよね? 簡単に行けてしまうと辛いことがあった時、簡単に帰ってきてしまうと自分でわかっていたので、あえて荷物を車に積め込んで広島から福岡まで車で行き、そこからフェリーで沖縄に向かいました。」

思い立つわりに意志が強いのか弱いのか。どこで働くかの当てもなく、沖縄に着いてから工房を回り、一番海に近かった名護市の工房で働かせてもらうことになった。

「そこがオープンしたてで、スタッフは揃ってるからと断られたんです。どうしてもここで修行したいんですって1時間ぐらい粘ったけど、どうしても給料も払えないからって。そこからさらに粘って、もう明日からおいでと言ってもらえるまでがんばりました。」

まさに粘り勝ち。しかし、憧れのガラスの世界へと期待を膨らませ、沖縄での修行を始めた藤島さんに、苦しい日々が待っていた。

--辞めて帰りたい、辞めて帰りたいばっかり

「沖縄に来た当初は来てよかったなと感じていました。沖縄は言葉が全然違うんですね。工房で何か言われるんですけど、ほとんど意味がわからない。「それよこせ」を、「だあだあだあ」っていうんです。なんか怒ってるなというのはわかっても、何をしたらいいのかわからかった。初めての県外で、工場はむちゃくちゃ暑いし、素人で仕事も何もわからなければ、人間関係もまだできていないという連続で、精神的にはかなりやばかった。最初の2、3カ月は、辞めて帰りたい、辞めて帰りたいばっかり。休憩時間になると、すぐ海に行って1人でご飯を食べ、ぼおっとして気分転換したら、また午後からの作業に戻っていました。仕事が終わるとすごいへとへと。よく社長がオリオンビールを出してくれたので、海へ潜って銛で魚を突いて、捌いてビールを飲むみたいな日常でした。」

馴染めない沖縄、慣れない作業、初めての人間関係。なかなか仕事をやらせてもらえない焦りやいらだちも続いたが、ガラスづくりをやりたいという思いは消えていなかった。

「工房ではほとんどガラスに触らせてもらえず補助的な仕事ばかりでした。型押しといって型の中に熱いガラスを入れて『ぷうっ』と吹くんですけど、型が熱くなってくっつかないようにひたすら水に着けて準備をするというような下積み期間が長かった。休憩時間は好きなものを作っていい時間だったのでひたすら練習をしていました。ある時、初めてコップを作ったんです。その時の嬉しさというか、それで水を飲んだ時、ガラスっていいなと改めて思って苦しいけれど頑張ろうと改めて決めました。」

--沖縄へ馴染むきっかけとしての泡盛Tシャツ

「Tシャツはそんな辛かった時期に買ったものです。最初にいただいた給料で国際通りに買い物に行って見つけました。修行で沖縄に来てはいたけれど、いつか広島に戻って独立するつもりだったので、向こうの方言が全部わかるようになってもずっと広島弁を通していました。心の中には広島に帰りたいとかいつか広島で独立するという心を意識し続けていたんです。ただ、沖縄の方もみんな自分の県をすごい大事に思っているので、自分が沖縄好きにならないといまここで認めてもらえないという思いもありました。だからこのTシャツを買ったんです。このTシャツ、いかにも沖縄じゃないですか。着ることでちょっと沖縄に染まってみようという気持ちがありました。仕事は常にこれを着ていましたね。かなり思い出深いものです。最近は太っちゃって、いま着るとぱつぱつ(笑)。沖縄に行って20キロぐらい増えてしまい…。」

思い出深いけれど、もう着れない。それが今回ループケアしてみようと思った理由だった。広島での独立を視野に入れての修行時代。しかし、沖縄の工房はお土産的なガラスを作っているだけで、独立するには不安があった。そこで地元広島にいる作家、舩木倭帆(ふなきしずほ)に弟子入りする。

--弟子入り、そしてままならないガラスとの格闘

「7年勤めた後、広島の舩木倭帆という吹きガラスの第一人者に弟子入りしました。元々好きな作家だったのですが、その先生はお弟子さんを常時2人しか取らず、入ると最低5年はいないといけないという決まりがある方でした。たまたま欠員が出て、この機にと飛び込みました。半日が師匠のアシスタントで、午後からこれを作ってみろと課題を課せられるんです。それをOKが出るまでひたすら練習。週1は丸々、自分の好きなの作っていいよという日もありました。自由にガラスを触らしてもらいましたね。」

ところが、先生が高齢のため弟子を抱えての活動を辞めることとなり、2年半で独立。今の場所に窯を構え、作家として今なお自分だけのガラスを求めて制作を続けている。

「ガラスを窯から出すと完全にどろどろの液体状態。そこから形を作っていくんですが、ガラスを巻くちょっとの量の違いとか、自分の体調とか、作業場のシャッターをどのくらい開けるかで変わる風の吹き込みとか、そんなわずかだけれどいろんな要素の積み重ねで出来上がりが変化します。ひいてはそれが作風というものに影響してきます。常に一緒のものを作ろうと思うんですが、絶対に変わってくる。何だかスポーツみたいな感じです。じゃあ次はこうしようとか、暑いけどシャッター閉めようとか、そういうやり取りがおもしろい。」

自分の技術でイメージを形にするということが、必ずしも自分の手の動きだけの問題ではないというのはとても興味深い。繊細な外的要因を、的確に自分の手と頭と連動させながら同じ形を何度も作ることの難しさは、我々には想像することすら難しい。藤島さんもまだまだ失敗することも多いという。

「作っていて失敗するんですけど、その失敗作は壊さずにそのまま焼いて柔らかくして遊んでみると、偶然おもしろい形ができたりすることがあります。遊びの半分以上はそのまま失敗しますが、たまにちょっとおもしろいのができたぞというのが、大切。修業時代は、縁が同じ薄さで高さもぴちっと揃い、ここの丸さがとか、そういうのを突き詰めていたんですけど、そうするとどうしても作風が窮屈になるんです。だから最近は、まん丸じゃなくてわざと一部を厚くしたり、ゆがみを多くしたりしています。光が差し込んだ時にできる影が、ゆがみの厚さや形によって変わってくるのがおもしろくて。」

一定の形を目指さないということはその都度のOKを出すのは自分の感覚になる。その結果として、自分がいい出来だと思って出したものとそこそこかなと思うものを同時に店頭に出してみた時、意外とそこそこのものが先に出たりすることがあるのだそう。

「だから、最近はあんまり考え過ぎず、自分で判断し過ぎないようにしています。ある傾向のものが売れたからといってそれを自己模倣することはまた違うので。ただ最近、ゆがんだ形ばかりを作っているので、ちゃんとしたのも作れるんか?って聞かれることがあります(笑)。」

--あの時、見た海のイメージ

もちろん藤島さんはスタンダードな形状のものも丁寧に作っている。そしてまだ見ぬ新作も、常に考え、イメージし、試作しながら探っている。その時、かつて板金工場で働いていた時の経験が役に立っていた。

「頭の中にはいろんな形があります。試してみるとまだ技術的にできなかったり、設備的に足りていなかったりすることが多いんですね。だから思いついたら、まずノートに描いておきます。試してみてできなかったら、また1年後とか半年後にやって見ると、急にできたりする。あと、ガラスづくり専門の道具って結構あるんです。型もそうで、それを使うと形がとてもきれいにできるんですけど、あたたか味がなくなっちゃうというか、誰が吹いてもその形になる。だから僕は、型作りから自分でしていて、ここで板金塗装時代に習ったことが役に立っているんです。最近は半分吹く作業、半分は型を作るとか何か他のことをしてます。」

今のもの作りは沖縄の工房と舩木先生、それぞれから学んだことが半々に混ざっている感じなのだそう。7年間と2年半分が半々に入り混じり、藤島さんができている。自分の作風、作家として目指すものみたいなことは、最近になってやっと見えてきたと話してくれた。

「会社を辞めて福岡からゆっくり一日半かけて沖縄に行った時、本当はすることがなくて、ずっとデッキから海を見てたんです。それまで瀬戸内海しか見たことなくて、そのとき見た海がすごいきれいで、ガラスもまだ触ったことない時期でしたけど、こういうガラスを作りたいとその時に思ったんです。琉球ガラスの泡を入れる技法に、その時に見た自分の海のイメージが重さなっています。海が好きだから、自然と海をイメージしたものが多くなりますね。」

--沖縄の土を踏み、海を見たい

美しいガラスと海を求めて向かった沖縄での修行後、広島に戻ってきてから一度も沖縄に行けていないという。

「実は、こちらに戻ってから沖縄に行けていません。すごい行きたいんですけど。琉球ガラス工房の社長が2年ぐらい前に亡くなったんですが、僕が今も作家活動を続けてることを喜んでくれていた方でした。沖縄らしいんですけど、社長の葬式の日、当日になって僕に連絡あったんです。行きたかったんですけど、さすがに当日はどうしても行けなくて。だからお参りもかねて行きたいなと思っています。」

琉球ガラスをそのまま作ることはないのだとしても、海を愛し、作品に反映され続ける限り、藤島さんの心の中には沖縄の青い海が静かに揺れ、キラキラと輝き続けているだろう。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

藤島孝臣

ガラス工芸家

1976年広島県呉市生まれ
物心ついた頃からガラスに惹かれ興味を持つ。
高校を卒業後、板金の仕事に就くも、ガラス作家への道をあきらめることが出来ず
単身沖縄琉球ガラスの世界に飛び込む。
7年の修行を経て、帰広しガラス作家舩木倭帆氏のもとで2年半の修行を重ね
2014年宮島にほど近い山中に「吹きガラス工房fuji321」を構える。
広島県を中心に各地で個展を開催。グループ展やワークショップ等にも参加してファンを増やしている。

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