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木下敬文さん

店を始めた頃に買った
スウェット

20.03.08
HIROSHIMA

デザイン事務所兼セレクトショップ「Hand-Me-Down」のオーナーであり、代表である木下敬文さんは、インテリアデザイナーとしてたくさんのお店や住宅を手掛けてきたが、もともとデザインや設計の勉強をしてきたわけではない。自分の好きなものを自分で作るということの先に、いまがあった。長く使い続けて、持ち主の個性そのものにまでなること。服もインテリアも同じかも知れない。

--自分でやるしかない状況だった

アメリカンカジュアルの服を中心に、シンプルだけどデザインの行き届いたプロダクトなども扱うHand-Me-Downは、デザイン事務所兼セレクトショップ。使えば使うほどに味わい深く変化し、持ち主の個性が宿っていくアイテムが多く、オーナーである木下さんが何を考えているのか、モノたちが語ってくれているようだった。2018年現在の場所に移転した。これまで2度の移転をした。

「お店を始めて24年になります。最初のお店は並木通りの2階にあって、10坪くらいの小さなお店でした。そこは6年間営業して、袋町に移転したんです。そこで17年やり、ここに引っ越してきました」

現在はインテリアデザイナーとして知られる木下さんだが、当時はまったくの素人。何もかもが始めてで、そもそも服屋さんもまったく異業種からの転職、独立、出店だった。

「そもそもお店をやる以前は、6年ほどテレビの制作会社にいました。ディレクターじゃなくて、技術側の仕事で、映像の編集をしたり音声をしたり。そもそも音響の学校に行っていて、就職まではずっとライブハウスでバイトしていたんです。でも洋服が好きで、テレビの仕事をしていた中で、ふと洋服屋がやりたくなってしまって。お店を始めるにしても、もう自分でやるしかない状況だったので、できることは全部やりました」

とはいえ、いきなりお店を開けるというのは大変だったはずだ。長く服と付き合ってほしいと、デニムを中心に着れば着るほど味わいの出るものを多く扱い、修理も受け付けていた。ミシンも仕事として使ったこともなく、日々勉強だったという。

「洋服が好きだったので、知識だけは多少ありました。古着のこととか、生地だったり、ボタンだったり、ジップだったり。そういうのはすごい好きでこれまでも見てたけど、実際自分が洋服屋になってみるともっと勉強することだらけで。ミシンもできないと駄目だし。裾も上げるし、修理もするし、言ってしまえば一度解体してもう一度作ることができるくらいじゃないとだめ。そこに至る前でも、お客さんに言われたらやるしかない。やっていくと、どんどん上手になっていって、できることも増えていきました」

木下さんは袋町に移転したお店の内外装すべてを自分で手掛けた。外はモルタルを塗り、中の什器を作り、床板を貼り、ペンキを塗るといったことすべてを納得のいくまで施した。

「このデニムを格好良く見せる棚が欲しいと思った時、、廃材とか古いものが好きだったから、解体現場から出てくるような板をもらったりして、作っていたんです。そうなると大工さんに作ってくれと言ってもなかなかスムーズにいかない。それで自分で作るようになったけど、最初はがちゃがちゃですよ」

--簡単には売りたくない

お店を出して最初の6年間は修業期間のようなものだった。自分でいろいろなもの作りながら、物を売るということについても試行錯誤の日々だったという。

「考えを確立するための6年間だったようで、洋服屋というよりも小売のお店というもののあり方をすごい悩んだ6年だったと思うんですよ。人が来てくれて、普通に買って帰ってくれることだけがお店なのか、みたいな感じになってきて。人が入ってくることが、そんなにうれしくないような感じがしてきていた。ふらっと入ってきて、パッと買って帰るんじゃなくて、ちゃんと対面でコミュニケーションがとれて、伝えたいことが伝えられて、それを聞いたうえで買ってくれたらうれしいんですが、接客も話もせずに買っていかれることにすごい違和感があった。忙しくなってくるのはありがたいし、うれしかったんですけど、さらっと買われることが気になり始めて。いや、まだ売らないよ、ちょっと待ってって。だから袋町に移転してからは、1個ずつ話をしてからじゃないと販売していなかった」

木下さんのその言葉の裏には、作り手やメーカーのデザイナー、縫製工場などなど、いろいろな人が関わってひとつのものができてくることへの思いがあった。その様々な過程で施された工夫や意図、背景を、買う人にしっかり伝えること。お客さんに届ける最後の小売の役割を木下さんは強く意識している。引っ越した袋町のお店は、人通りの多い通りから入った、静かな場所で、外観も入るのに多少の覚悟がいるようにしたのも、そうしたゆっくりお客さんと話たいということからだった。

「買わなきゃ出られないんじゃないかという外観ですよね。見つけても入りにくくて、みんなしばらく立って様子を伺ってました(笑)」
入ったら話を聞いて、いいものを買うぞという決意じみたものが湧き上がってきそうだ。

「そうやって、ちょっとずつうちのテイストが好きなお客さんが増えてくれて。だから和やかでしたよ、店内は。みんな仲がいいというか、好きなものも同じだし、共通の話題で盛り上がる。お客さん同士でも話したりしていましたね。多少閉鎖的にすることによって、本当に好きな人が来て、ゆっくり買い物ができる、物がゆっくり見れるというお店がつくりたかったから、それは実現できていたんじゃないかな」

--自分で物を売ったことがあるからわかること

内装をすべて自分で手掛けた木下さんに、このテイストが好きだからうちのもやってほしいと内装の依頼が飛び込み始める。

「15年ぐらい前だと思うんです。お店に来てくれるお客さんの中に飲食店で働かれていて『今度独立するので手伝ってもらえませんか?』と言われたのが最初。人が使う内装をやるとなると、知らないこともいっぱい出てきます。厨房設備を入れていったらそうとうなお金もかかるわけで、たくさん勉強しましたし、1人じゃできないから、職人さんたちにも協力してもらいました。協力してもらうにもどう伝えればいいかという経験もないから、そこもまた勉強でした」

建築に関する法令や熱の効率、保健所の申請など、いわゆるデザインだけが設計者の仕事ではない。誰かと一緒にする場合は、建築について知っていなければ対等に話もできない。

「建築やインテリアを勉強してきた人とそうじゃない人では、やっぱり持っている言葉が違う。だから、本はたくさん読みました。でも、実際に作るものは、紙の上やパソコンのCADの線じゃない。図面は、最初から手描きで描くんですが、イメージ図。CADも使えますが、基本は手です。最初の什器の図面とかも全部書いてますね。多分描くのは好きなんですよ、昔から。イメージを一緒に作っていく人と共有するためにまず絵を描きたい。大きさのバランスとか、手で描いてみないとわからないんですよね。そもそも、絵を描くのが好きなんですよ。中学生の頃は美術と手芸が得意で、手芸部でしたから。刺繍したりマフラー編んだり。友だちに無理やり一緒に入ってもらって、男は僕ら二人だけ。あとは全員女子でした(笑)」

内装をコンスタントに頼まれるようになってきたが、わからないことがあれば勉強するという日々にあっても洋服屋の店頭に立って接客することはやめなかった。

「インテリアデザイナーと自分で思えるようになったのは、ここ5年ぐらいじゃないですか。いまの場所に引っ越して、デザイン事務所と工房とお店になりましたが、お店を辞めるということは、一切考えなかった」

店頭に立って、物が持っているストーリーを伝えなければ売りたくないと話してくれた木下さんの思いは、インテリアデザイナーとして活躍することの裏にもしっかりと息づいていた。

「お店を造らせてもらうことが多いんですけど、お店を造る時に何が大切かって、自分がお店に立ったことがない人にはなかなか掴みづらいと思うんですよ。普通の工務店の人、普通の設計士さんなど、店頭で物を売ったことがない、お店に立ったことがない人が考えるのとは、また違うと思っています。そのお店の空間や空気感、お客さんとの距離感みたいなことがすごく大切。その距離の中にどんな空気が生まれたら、その人のお店になるかなって。だから、具体的なレイアウトの話よりも、どういう接客がしたいか、お客さんとはどんな関係を築きたいかを聞きたい。施主のキャラクターをどう出したら、お店とそこに立つ人が魅力的になるか、そういう考えることすべてが空気になってくる。そこを考えられるのは、お店をやっていることが多少なりともプラスになっていると思っています」

「大切なのは、造らせてもらった後、どれだけ継続して仲良くなれるかということ。造る前よりも、どれだけ深く関係を結べるかな気がするんですよ。逆に造る前はそんなに仲良くなりすぎないようにしています。打ち合わせでたくさん話もするし、仲良くはなるんですけど、やっぱり距離を持っておかないとこの仕事は難しい。お客さんのお金を何百、何千万円と預かるわけで、終わるまでは必要な距離はちゃんと取っておく。完成した後は、止めていた分まで仲良くなる。お互いお店に行ったり、来たりして、人によってはうちの実家にまで来た人もいます(笑)」

実家にまで行く関係となると、もはやお客さんだったことを忘れて親友と呼んでいいかもしれない。クライアントにとってはこれから毎日使い続ける場所を作ってくれた人は、自分たちの毎日を想像してくれていた人でもある。仲良くなるのにハードルは低いはずだ。

「今後のメンテナンスとか、困ったことがあればいろいろなことに末永く対応していきたい。何でもない連絡がうれしくて、今月の売り上げが今までで一番良かったです!ってメールが来たりして、うれしいですよね」

--独立してお店を作った時に仕入れたスウェット

今回ドッグウェアにループケアするのは、服屋さんをしていた時に着ていたスウェットだ。

「僕が一番最初、24年前のお店を造った頃に仕入れた商品で、長いこと自分が着ていました。古着みたいにリブや生地は伸び切って日焼けもしていますね。この頃、まだ20代でした。かなりヘビーローテションで着ていたと記憶しています」

たくさん着ながら、20年以上着れる状態を保てる服。木下さんが目指したお店のあり方、商品の本質を、身を持って表現している。

「やっぱり生地が駄目になっていくんですよね。良くないやつは破れちゃう。でもこれは伸び切ってる感じはあるけど、まだまだいける。生地は和歌山、縫製は福山で国産なんですよ」

アメリカンカジュアルが好きになったのは、中学生の頃。80年代前半ローリング・ストーンズやフォーキーなボブ・ディランを聴き始め、ロックやカントリーチックなところから、デニムが好きになり、いろいろなアーティストたちのライフスタイルに導かれてきました。だから、世の中の流行りとしてアメリカンカジュアルということではなく、個人的な好きがずっと続いている感じです」

50歳になり、徐々にファッションのスタイルも考えるようになったそう。“大人”になったということなのだろうか。

「服は古くなったから着にくいというものじゃなくて、かっこよくなる。でももう50歳になって、若干考えるようになりました。初めての人との打ち合わせに、ぼろぼろの服を着て行くのはやめようか……とか考えるようには、やっと最近なりましたね」




--木下敬文さんのドッグウェアが完成しました

木下敬文さんの店を始めた頃に買ったスウェットをループケアし、ドッグウェアに仕立て直しました。

聞き手: 山口博之

写真: 山田泰一

PROFILE

PROFILE

木下敬文

株式会社Hand-Me-Down
代表取締役

1969年生まれ
テレビ制作会社で映像の編集や音声に関わる仕事に携わる。
その後、好きが高じて1995年に洋服屋をOPENした。
現在では、洋服と雑貨の店舗経営と古材を再利用した家具の製作、販売、店舗や住宅などのデザイン設計、施工も行っている 。

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