池田真莉さん
と
お父さんのシャツと
お母さんのハンカチ
19.12.28
HIROSHIMA
結婚する人が望む以上の最高の結婚式を実現するウェディングプランナーの池田真莉さん。 結婚式当日をどうするかということだけでなく、「式に至るまでが本番」で「当日は打ち上げ」とも語る池田さんは、何を思いウェディングプランナーになったのか。 その背景にはお父さんと偉大な先輩の姿があった。
--パーティーという響きが好き
そもそもウェディングプランナーという仕事との出会いはどこだったのか。
「ウエディングプランナーの仕事に出会ったのは、高校3年生の時に進路指導室で見た専門学校のカタログでした。祭り女というか、楽しいことやパーティーという言葉自体がもう好きで。友人にも恵まれて、小中学生の時は、友だちとわいわいするのが何より楽しい! みたいな性格でした。そこから祭り女の精神が培われていって、学校行事での盛り上げ隊、同窓会の幹事まで、クラスを仕切ってみんなで何かをやろう! みたいな時、真ん中に立って全員を巻き込んでいくことが昔からすごく好きだったんです」
パーティーが好き以前に“パーティーという響きが好き”というのは、本物感のある言葉。
「高校生になって接客業のアルバイトを始めたのですが、接客や電話対応を褒められたりすることがあって、私の思うやり方は社会では褒められるんだと。接客業×パーティーをつくる人というのを考えたら、ウェディングプランナーはすごく良さそうだなと、ブライダル系の専門学校に進み、今にまで繋がっています」
たしかにその掛け算であれば、答えはウェディングプランナーが導かれるのもわかる。とはいえ、それ以前に結婚式に参加したこともなかったというから、大胆といえば大胆な選択でもあった。
「楽しそう、ウエディングプランナーさんってかっこよさそうくらいの印象しかなかったですね。割と勢いです(笑)」
--3000人の接客コンテストで1位に
専門学校で学んでいくうちにイメージが変わるということはなかったが、池田さんは、卒業後入社した会社で素晴らしい人たちとの出会いと仕事によってウェディングプランナーへの夢はどんどん膨らんでいった。
「新卒で入社した会社で働いてる人たちがあまりにも輝いていて、ウエディングの印象が変わりました。こんな場所でこんな人たちと形にしていける結婚式なんて、ますますウエディングプランナーは魅力的な仕事じゃん!て」
一体そこでどんな出会いがあったのだろう。
「商業藝術という飲食店を全国で展開している会社だったのですが、社長さんがすごくおもしろい方なんです。結婚式場は唯一、広島にCASA FELIZというのがあるだけなんですね。私の入社の頃、式場の5周年でパーティーがあって、広島のおしゃれな方たちがたくさん集まって、シャンパンを持ってパーティーを楽しんでいました。こんな場所でつくり上げていく結婚式を想像したら、なんて素敵なんだって。そこには5年間いました。でも私、そこではウエディングプランナーといえる仕事はしてないんです」
ウェディングプランナーへの道がおぼろげに見え始めていたが、まだまだ歩き始めたというところだった。でも、その式場での経験は確実にKnot weddingへと繋がっていた。
「まず現場のサービスから始まって、そこからすぐに“キャプテン”という役職の仕事をするようになって、新郎新婦さんのアテンドをしたり、現場監督として参列者や作り手を含めたテンションのことなども含め全体を把握して指示を出していく。Knotの具体的なルーツになったのは、その経験です。結婚式の魅力を再確認したことに加えて、ひとつの式をするためにこんなにすごい作り手の人たちが120パーセントの力を注いでいる。ただ、その作り手の思い一つ一つを新郎新婦のみなさんにより細部まで伝えたい、もっと紹介したいと思ったんです。そうすると、さらに「私たちのための結婚式だった」と思ってもらえるんじゃないのかなって。そこで、自分でプライベートパーティーをやろうと考えたんです。一緒に作ってみたい方たちにお声掛けをして、それをパーティーの演出とし、お客さんをご招待するということを、22歳ぐらいの時に初めて企画しました。<春と花がおいしい夜。>という、忘れもしないタイトル。それが私が初めてプロデュースしたパーティーでした。趣味の延長のようなものでしたが、本当に楽しくてそれからやめられなくなってしまいました」
生粋のパーティー好きが自分のやることを見つけた瞬間だったのだろう。素晴らしいパーティーを作り上げるために関わってきてくれた、たくさんの人々の顔をひとりひとり浮かべながら、話しているように見えた。
「自分のスキルを使って、起業してみたいと意識し始めていたんですよ。そのきっかけになったのが、会社の接客コンテストでした。全国で3000人の社員・アルバイトの中からグランプリを決めるもので、入社試験でもこの会社に入ったら絶対にグランプリを取りますと宣言していました。そして、入社して2年目のコンテストで何と優勝したんです! 副賞としてパリ旅行をプレゼントしていただいて、それが自分の自信になって、20代前半は独立に向かってずっと動いていたところはあったのかな」
--あこがれの人との出会い
話を伺っていても、いつも前向きで率先して動くリーダーという感じを受ける。自分がやるべきことをやるとそれが褒められるということも経験し、池田さんの夢は膨らんでいく。池田さんは弱気になったり、不安だったことはないのだろうか。
「一番、自分の弱さを感じたのは、Knot weddingを始める時ですね。人生で経験したことのないとてつもない不安を感じていました」
結婚式場を辞めた池田さんは、接客の幅と質を上げるために英語を覚える必要があると考え、1年間の語学留学をしている。そして留学中、自分の考えるサービスを徹底するにはもっと広い意味でのおもてなしを知っている必要があると、星野リゾートに1年間勤務した。星のやからは京都の星のや京都でもっと仕事をしないかと誘われ、独立への不安もあって、求めてくれる人がいるならそちらもあるかもしれないと。そんな時、背中を押してくれたのがお父さんだった。
「もう始めたらいいじゃんって、うまくいってもいかんでも、取りあえずやってみたらぐらいな感じで。父はすごく気持ちを込めて、だけど非常に軽く言ってくれたんですよ。父のそんな気軽な一言があって、じゃあやろうと決めて周りにも宣言し始めました。なんですけど、やっぱりいざ始めるとなると、やはり不安が浮かんでくる。今まで一体何に自信を持っていたんだろうというぐらい、一気に全てのことに自信がなくなりました。27歳になったくらいの時期が、最も自分の弱さに直面した時でした」
父の後押しだけでは乗り越えられなかった不安を克服できたのは、ウェディングプランナーとして尊敬していた人と会えたことだった。
「CRAZY WEDDINGというウェディングプランニングの会社の代表である山川咲さんの著書『幸せをつくるシゴト 完全オーダーメイドのウェディングビジネスを成功させた私の方法』を読んだんです。その人も苦しい時期を経てはい上がって、オーダーメイドのウェディングビジネスを成功させていて、すごく感銘と影響を受けました。と同時に不安もかき立てられたんです。あぁ、もうすでにいるじゃん、こんなすごい人がって」
すでに大成功した尊敬できる人がいる世界に自分が飛び込んでいけるのか、成功できるのかという不安。自分という人間の個性を否が応でも向き合わなくてはいけない時期だったのだろう。
「でもいま広島で、私が大切にしてるこの場所でそれができる人がいるか、いや、いないと思ったんです。東京じゃなく、広島で私が尊敬してる作り手たちにスポットを当てたら、どんな結婚式の景色が見えるのか、それはきっと私にしかできないかもしれないと。そう思い込んでちょっとずつ自信をつけようと思っていたんですけど、ふと、何よりこの山川さんにもし明日会うことができたら、もうできないことはないんじゃないかと思い始めたんです。それで、山川さんにすぐにメッセージを送ったんです。『初めまして。私はこういう独立を目の前に控えていて、云々、それで今こんな時間ですがメッセージを送りました』みたいな。お返事は返ってこないだろうなと思っていたので、翌日お手紙を書こうとも考えていました。ところが翌朝、何と咲さんからお返事が…! 明日、東京に来れますかというお返事だったので、すぐに飛行機に乗って東京に行き、山川さんにお会いしました。2軒目まで飲みに行って、たくさんお話をし、CRAZY WEDDINGにも誘ってくださったんです、実は。その日は返事をせずにお別れしてから1週間後、私は自分でやっていきますと伝えました。咲さんはその選択をもすごく応援をしてくださって、その後もCRAZY WEDDINGの皆さんを連れて、広島に話を聞きに来てくれたこともあります。私のことを他にはないウエディングプランナーだと言ってくださり、本当に勇気を与えてくれる尊敬する存在です。咲さんの存在があって、私は不安の壁をどっかーんと壊せた感じですね」
--準備が本番、当日は打ち上げ
そして2015年、Knot Weddingが始まった。仕事を始めた池田さんが不安に駆られることはなかった。ひとつひとつ結婚式をかたちにしていくにつれ、感謝の数も経験も増えていく。結婚するふたりを始めたくさんの人の人生に触れる大事な仕事は、実現していけばいくほど自信にもなり、自分が誰かに与えることができるものがはっきりわかっていく感覚があるのだという。
「Knot Weddingでは、必ずウエディングコンセプトをお作りしていて、2人の夫婦としての原点みたいなものを結婚式に刻みたいという思いがあります。これまでとこれからの2人のこと、ご家族のことを2人で棚卸ししていただき、それを私がお伺いした上で、結婚式の記憶がいつか遠い先の思い出になった時にも、結婚式を思い返して、私たちってこういう気持ちで夫婦を始めたんだよねと立ち返えることができるものにしたい」
コンセプトを作るヒアリングの際、もうひとつ大事なものがKnot Weddingオリジナルの家族テストという自分やパートナー、家族についての質問集だ。
「お二人にとってはKnotの一番最初の準備が家族テストになります。この宿題をしていただいて、結婚式の準備を始めるということに私はすごく意義を感じていて、当日の様々なこととは別に、2人がちゃんと大切なものを見つめた上で、結婚式の準備を始めていきませんかということを大切にしてます。お二人にとっては、これが卒業文集みたいにずっと持っておいていただきたいし、これを見ればまた原点に帰れるものにしてほしいなあとも思います」
結婚式当日を最高のものにするのは当然のこと、どう最高のものであるのか。終わってからもなお最高のものであったと振り返ることができるものにすること。
「結婚式の当日は、数カ月から1年という時間かけて準備していくので、完璧なもの、楽しく幸せなものであるのは大前提だと思っています。準備期間の何百、何千という時間が、2人にとってちゃんと刻まれるものであるかということを見つめながらやっています。だから究極は、本番の結婚式ができなくてもいいかもと思ってもらえるぐらいの準備期間であってほしい。いつも準備が本番、当日は打ち上げって言ってます」
なんと頼もしいんだろうか。
--ビジネスマンの父と温かいお母さん
ウェディングプランナーとして5年になるが、池田さん自身はまだ独身だ。自分の結婚式のイメージはあるのだろうか。定番のお父さんお母さんへの手紙は読むのだろうか。
「はい、メッセージは伝えたいと思っています。うちは3人姉妹で、私が真ん中。父親は自分でビジネスを起こし、今なお従業員をたくさん抱えていて、成功している人だと思います。ただ今でこそですが、大変なことも多かった。家にいる時間もほとんどなかったですし、子どもが3人の女の子となると父もコミュニケーションなど難しいことがたくさんあったと思います。ただ私は社会人になってから、起業して働いてきた父のすごさを少しずつ感じ始めて、自分でビジネスをスタートさせてみてさらに年々増していきました。今では2人でご飯に行ったり飲みに行ったりもしているんです」
年を重ね、起業し、父親の境遇を身を以て理解できるようになってきた池田さん。仕事を通して、自分という人間のこともわかってきたという。
「父の尊敬できるところと母親の尊敬できるところが全く違う。それをそれぞれから与えてもらって今の私がある」
尊敬できるところが全然違うというお父さんとお母さんはどんな人なのだろうか。
「父は、昔から”かっこいい人”ですね。外向きに内向きにも。私が小さい頃から、いつでもキリッとした父親でした。いつもおしゃれをして、セカンドバッグを持って、時間をかけて身支度をして。ただ、起業した当時は軌道に乗るまで大変なことも多かったみたいなんです。それでも、家族を路頭に迷わせるような駄目な男になりたくないという、いろいろな意味で“かっこいい人”であることが父の力強さなのかな。あとは非常に社交的で、凜としてアクティブだと思います。あと昔からやはり父には逆らえない。一家の大黒柱である父親の言うことは絶対だと思っていました(笑)」
一方でお母さんはどういう方だったのだろう。
「お母さんは本当に田舎の温かいお母さんという感じで、うそがつけない人です。とにかくけなげで真っすぐで透明度が高い。ひょうきんでチャーミングっていう言葉がぴったり当てはまるような人。私もどっちかというとうそがつけないタイプなので、母親譲りなのかなあと思ったりします」
--両親が選んだものを
今回ループケアするのはその両親の服とハンカチだ。
「父が長く着ていた服です。父は洋服が好きなので服の入れ替わりが激しい。そんな父が非常に長くとっていたもの。船が好きで、クルーザーで週末は海に出る時に着て出掛けたりしてたみたいですね。今回父自身に選んでもらっていて、できるだけ長く使っていた物で、仕事に生きてきた父だからこそ、オフの時間に着ていたものをあえて選ぶのもおもしろいかなと」
「母は物をすごく長く大切に使うタイプなので、こんな物でもいいと言いながら、アイロンを丁寧にかけて渡してくれました。母は常にどんなときでもハンカチを持っていて、何かあればすぐにハンカチを差し出してくれるんです。だから母からはハンカチをぜひ与えてもらいたいなあと思って、選んでもらいました」
出来上がったアルバムはそのままご両親にプレゼントするのだろうか。それとも自分のためにとっておくのだろうか。
「まずは自分で持っておきたいなあと思って。何かの機会があった時、今度は私が使っていた物をループケアして両親にプレゼントするというのがいいかな。やっぱり写真を見返す時間はすごく尊いものだと、この仕事をしていて本当に思います。せわしない結婚式準備の中でも、実家に帰ってアルバムを見返す時間だけは、なぜかすごい時間かけちゃいましたという新郎新婦がたくさんいました。私もそんな時間を経験したいなと」
--池田真莉さんのアルバムが完成しました
池田真莉さんのお父さんのシャツとお母さんのハンカチをループケアし、アルバムに仕立て直しました。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
おりでちせさんと
捨てられなかった
古着のシルクスカート
イラストレーター
20.01.18
原田健次さんと
店を始めた時に作った
エプロン
地粉うどん店 わだち草 店主
20.05.28
山岸玲音さんと
勝手に譲り受けた
父のレザージャケット
オペラ歌手
19.10.28
山田淳仁さんと
東京時代に購入した
スウェット
株式会社酒商山田 代表取締役
20.02.18
岡崎洋子さんと
東京に行くべく買った
ワンピース
占い師フランソワーズ
20.03.28
川口朋子さんと
2回しか着ていない
着物
会社員
19.11.18
平尾順平さんと
イランで買った
伝統柄の布
ひろしまジン大学 代表理事
19.12.08
木下敬文さんと
店を始めた頃に買った
スウェット
株式会社Hand-Me-Down 代表取締役
20.03.08
梶原恭平さんと
半面教師の父親の
現場用作業着
広島経済レポート取締役
19.04.29
森田麻水美さんと
ウィリアム・モリスの
ファブリック
アートディレクター
19.09.08
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19.11.18
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株式会社Hand-Me-Down 代表取締役
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19.04.29
森田麻水美さんと
ウィリアム・モリスの
ファブリック
アートディレクター
19.09.08
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