鶴崎洋介さん
と
野球のユニフォーム
17.01.11
HIROSHIMA
2016年から勤務する、ウェディング会社唯一の男性プランナーとして活躍を始めた鶴崎洋介さん。いまではたくさんのカップルの幸せを願いながら日々を送る鶴崎さんは、かつてプロ野球選手を目指して野球漬けの生活を送っていた。かつてのユニフォームにはどんな思いが詰まっているのだろうか。
--ウェディングプランナーは、プロになりたかった野球男。
さわやかで丁寧な物腰の鶴崎さんには、ウェディングプランナーという仕事の顔に加えて、スポーツをやってきた雰囲気がはっきりと漂っていた。1991年生まれの25歳。小学三年生でソフトボールを始め、中学から野球部へ。その後、高校、大学と野球を続けた。
もちろん、LOOP CAREする服も野球のユニフォーム。大学時代、広島六大学リーグの選抜に選ばれたときのものだそうだ。一番充実した野球部時代だったという高校3年から大学の4年間。野球を続けた10年の後半は、前半5年の後悔を取り戻すべく必死になった5年間だった。
--失われた5年と再獲得の5年。
小学校のソフトボールクラブから中学で野球部に入ったが、そこは上下関係もゆるく、先輩を君付けで呼ぶような和気あいあいとした部だった。それが楽しくもあって、当時からプロ野球選手になりたいと密かに思いを抱いていた鶴崎さんだったが、周囲の空気に合わせてしまっていた。
高校野球は真剣にプロを見据えてやりたいと思い、古豪・広島県立広島商業高等学校に。そこは中学ののびのび野球しか知らない人間には、あまりに厳しく辛い環境だった。中学3年間での練習不足やその後の怪我などがあり、2年間は思うようにいかなかった。高校三年の夏、やっとスタメンとして初めて試合に出場し、県ベスト4まで勝ち進む。いまでも忘れられない1番の試合は、三年の夏、満員の広島市民球場で応援の声や歓声を浴びたときだという。初めて大きな球場での試合を経験し、自分が当たり前に思っていたプレーひとつひとつを大勢の観客が楽しんでくれたことがうれしかった。ようやく自分の野球を掴みかけ、実践できるようになった高校3年。実力を発揮し切る時期としては遅かった。でも、鶴崎さんはプロへの道を諦めず、大学へ進み、その道を追いかけ続ける。
--いつ頃からか、僕はプロにはなれず、諦めていた
大学は取れる単位を前期で一気に取り、出来る限り練習の時間を確保し、授業の合間も動画などで勉強していた。結果、大学では全国ベスト16まで勝ち進んだ。当時の対戦相手には、広島カープの大瀬良選手もいたそうだ。しかし、プロからのスカウトはなく、ある社会人チームから声が掛かった。でも鶴崎さんはそれを選ばず、ウェディング業界の道を歩き始める。
「もしプロになれたとして、きっと一流選手にはなれないかもしれないと考えたこともありますが、それよりも選抜での経験が野球以外の選択肢を考えるきっかけになったんです」とハキハキ答えてくれた。「野球は人と一緒に目標に向かうことの意義や楽しさを教えてくれました。特に大学で選抜チームに選ばれたことはとても大きかった。かつてのライバルたちと共に選ばれ、野球をやれたことは、人と人との繋がりを強く感じた素晴らしい経験でした。いまの会社に入りたいと思ったのも、はじめて会社の先輩たちと会った時、ぜひ一緒に働きたいと感じたことが何よりの決め手でした。野球を通じて人と人の繋がりを強く経験してこれたからこそ、ウェディングプランナーという仕事をやってみたいと思ったんです。ウェディングという人生最大のイベントをご一緒できるのが、僕自身のすごい喜びにもなっています」。
ちなみに。「実は、父親が関西出身で子どもの頃は阪神ファンで、憧れの選手は中日の立浪やダイエーの松中、西武時代の中島裕之でした」と、広島で野球をやり続けてきた人とは思えない発言があった(笑)。高校、大学と鶴崎さんの背番号が「3」だったのは、憧れた3人の背番号が全員「3」だったからだそうだ。今回LOOP CAREするのは、ウェディングプランナーという仕事を選ぶきっかけにもなった選抜の背番号「7」のユニフォーム。偶然の繋がりを背中にした野球人生からウェディングプランナーへ。これまでのユニフォームは、これからのアルバムに変わる。さて、どんな写真が入るのでしょうか。
--鶴崎洋介さんのアルバムが完成しました
鶴崎洋介さんの野球のユニフォームをループケアし、アルバムに仕立て直しました。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
鶴崎洋介
ウェディングプランナー
1991年、山口県生まれ広島育ち。ウェディング会社「マリーエイド」のプランナーとして働き、今年で3年目。1年で20組以上の結婚を手がける。小さな頃は関西出身の父親の影響で阪神ファンだったが、いまはもちろん広島カープファン。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
三浦剛さんと
人生を変えたハワイの
アロハシャツ
Garden creator
18.02.08
今津正彦さんと
苦しかった時代の
奥さんのワンピース
株式会社アイ・エム・シー ユナイテッド 代表取締役
18.06.28
佐藤恵子さんと
あの頃一目惚れした
スカート
整理収納アドバイザー/親・子の片付けインストラクター
18.07.08
堤信子さんと
好きになり始めた頃の
アンティーク着物
フリーアナウンサー/エッセイスト
18.03.28
山本美直さんと
子を通して繋がる母の
ツーピース
ブランド「ヒトツトテ。」作家
18.06.08
嵜本晋輔さんと
ガンバ大阪3年目の
ユニフォーム
株式会社SOU 代表取締役社長
18.04.18
池田沙織さんと
ふたりの子どもが着た
手作りの産着
アクセサリーデザイナー
18.05.28
浅野史瑠さんと
デザインした文化祭の
Tシャツ
雑貨作家
18.05.18
竹中庸子さんと
三世代で受け継いだ
被布
特定非営利活動法人もちもちの木理事長
18.06.18
藤江潤士さんと
サラリーマン時代の
オーダースーツ
シンガーソングライター
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商品毎に、1回分の無料修繕サービス(リペア券)がご利用いただけます。
完成品といっしょにリペア券をお届けいたします。