堤知美さん
と
父親の愛車が描かれた
Tシャツ
17.12.12
HIROSHIMA
90年頃からスタイリストとして活躍した堤知美さんは、現在、母親がオープンした人気のカフェを引き継ぎ、リニューアル。人気のお店となっている。スタイリストとカフェという女性の憧れのような仕事をしてきた堤さんが、最愛の父を亡くしたのは昨年。自称ファザコンというほどの堤さんが語る、大好きだったお父さんのこと。
--止まらない大好きなお父さんへの思い
「わたしいわゆるファザコンだと思います。父が亡くなってから、好きという気持ちをますます感じるようになっているんです。亡くなった今でも、お父さんがいないと生きていけんのんじゃないか思うぐらい大好きな存在で、きっと旦那より好き。気持ち悪いですよね(笑)」。
堤さんは、一昨年お父さんを亡くされた。享年70歳。まだまだどんなおじいちゃんになっていくのか楽しみだったと堤さん。防災設備の会社を経営し、小学校などの火災報知器のチェックなどで娘の学校に何度もやって来たのだけれど、顔が濃かったお父さんは「日本人じゃない!」「外国人が来た」とからかわれ、サッカーの日本代表対イラン戦などの翌日は「トモちゃん、昨日お父さん出とったね」と言われたこともあったと堤さんは笑う。
「私ほど言う人がいないだけで、みんな思ってても言わないだけ。特に娘は絶対父親が好きだと思います。無償の愛ですよね。旦那にはやっぱり見返りを求めるじゃないけど、私はこれしたんじゃけ、あなたはこれしてみたいな感覚がある(『私と結婚してくれるなんて奇特な人。ありがたい、本当感謝しかないです』とも仰ってました)。もちろんそれぞれの家庭の付き合い方にもよります。うちは娘のためにという気持ちを感じることが多かった。優しいことを言ってくれるわけじゃないけど、ぶつぶつ言いながらも必ずいろいろやってくれました。外にある私の陶芸小屋もお父さんが建ててくれたんです。屋根と柱だけの状態から壁をつくって、扉を付けて」。
これほどストレートに父親への愛を語る人に初めて会ったかもしれない。多くの人は多少なりとも気恥ずかしさや照れがあるものだけれど、堤さんにはそれがなくただただストレートに愛を語る。その娘からのまっすぐな愛情は、お父さんには伝わっていたのだろうか。
「伝わってましたよ、絶対。直接愛してるよ〜とか伝えたわけじゃないので実際には分からないですけど。父が、死ぬ間際の5日間ほど入院していて、その時お父さんといろいろと話したんですが、母にも言わず私にだけ言っていたこともたくさんあったんです。私と妹で娘しかいなかったので、多分私を長男のように思っていて、おまえは土井家(旧姓)の長男だからといつも息子のように接してきていましたし、そう期待されていた感じもありました」。
--バブル、そして憧れのスタイリストの世界へ
1969年に広島で生まれた堤さんは、ファッションが好きで雑誌「anan」や「Olive」に憧れ、中学校の頃から憧れはスタイリスト。東京の文化服装学院に行こうと考えていた。けれど東京という街に不安を覚え、地元の服飾専門学校へ。卒業後はバブル期真っ只中、地元でスタイリストとして働き始めるが、アシスタント時期はいくらバブルとはいえかなりの薄給。帰ってくる時間も遅く、父親にも体を壊すから辞めなさいと忠告されたこともあったそうだ。でも、独立し自分でしっかり稼ぐようになると何も言わなくなった。
「昔はデパートやショッピングモールでのファッションショーや水着ショーなどがたくさんありました。水着ショーなんて今は中々ないですよね。他にも広告の撮影のスタイリングなどファッションだけでなく、インテリアや料理の撮影など色々な経験をさせていただきました」。
20代はスタイリストとして充実した日々を過ごし、毎日刺激的で楽しい時期だった。
「父は、20代は早く結婚しろと言ってたけど、30歳を過ぎた頃からもういいよという感じでした。別にお嫁に行かなくてもいいよって。娘かわいさというよりも、長男だし別に行かなくてもいいという感じ。行きたければ行けばいいし、別に家におってもいいしって」。
--母、突然カフェを始める
1994年、事務の仕事をしていたお母さんが太田川沿いの土地を買い、カフェ「Cafe du Do!」を始める(東京在住の地主との交渉のため堤さんとお母さんは何度も上京したそう)。はじめは手伝いのつもりで入っていたのが楽しくなり、堤さんは料理の道へ。広島でよく知られた人気のお店となるも、2007年お母さんはCafe du Do!を閉じる。その後、事業の立ち上げを手伝い、スタッフとして働くなどしていたが、2013年かつてのカフェを改装し自分のお店として「Do!reuri(ドゥ レウリ)」を始める。「reuri=れうり」は、日本初の近代的国語辞典である『言海』にあった「料理」の読み「れうり」という言葉から名付けた。様々な季節の草花が植えられた庭も美しく、今も以前と変わらぬ人気のお店となっている。そんな忙しいカフェにも、お父さんは毎日来ていたという。
「朝、まずコーヒーを飲みにきて、その後、3時頃になったらもう一度コーヒーを飲みに来ていました。1日2回、それが毎日。お店が休みの日に私が家にいたら、いきなり『コーヒー飲ましてくれ』と言って来ていたので、本当に毎日会っていました」。
--バイクと車を愛した父と孫の絵のTシャツ
お父さんはバイクと車が大好きだったそうで、昔からドゥカティやハーレーのような大型バイクに乗っていた。そして今回ループケアするTシャツに描かれた車、「ケーターハム スーパーセブン」が、お父さん一番の愛車だった。
「私たちも助手席に乗ったことはあるけど運転をしたことはなくて、ハンドルはお父さんしか握ったことがない。運転が難しいとかで運転させてもらえなくて、だから亡くなった後、鍵も分からなかったんです。というのも、どうも鍵が鍵じゃないんですよ。どこかとどこかの配線をつなげてエンジンをかけるみたいな、ドラマとか映画で盗む時に見るような感じだったんです」。
「さっき話したお迎えは、この車では来てくれなかったですね。本当に趣味のためのもので、山を走るとか、休みで天気が良かったらちょっと走ろうみたいな。乗せてと言えば乗せてくれましたけど、乗ると怖いんです……。車高がものすごく低くて、床がほぼ道路。足が下に擦っているんじゃないかっていう気持ちになるくらいで、言ってしまえば乗り心地は悪かった(笑) でも、父はバイクみたいに車と自分の一体感があって楽しかったみたいです」。
そんなお父さんの姿を見ていたのは、娘の堤さんだけではない。堤さんの甥、姪にあたる妹さんのお子さんたちも、おじいちゃんが愛する車を見て、実際に隣に乗せてもらいドライブに付き合うこともあったそうだ。孫(堤さんにとっての甥)が描いたスーパーセブンを見て、Tシャツにしようと言い出したのは、おじいちゃんだった。
「『孫は絵がうまい』とか言って、『これTシャツにするか』って。家族全員分、白と黒を1枚ずつ全部で30枚以上は作ったと思います。描いた甥が8か9歳の頃で、今22歳になったので、13、4年前。そういえばロンTバージョンもあってオールシーズン対応でした(笑) みんなはパジャマとかで使っていましたけど、父は普段着として外によく着ていっていました。だから父のものはボロボロでしたよ。孫が好きな車の絵を描いてくれたのがうれしかったんでしょうね」。
ただ、お父さんは孫をかわいがりはするけれど、決して溺愛ではなかったと堤さんは思っている。
「やっぱり娘がかわいいから孫がかわいい、というのはよく言っていました」。
--人生の最後への覚悟
ここでも親子の愛の繋がりの深さが違うかたちで証明された(娘さん自身の手で)。亡くなる5年前に肺がんの診断をされ、抗がん剤治療など様々な治療をしながら、1週間前まで車に乗るような普通の生活をしていた。一ヶ月前には愛車セブンに乗って、友だちの店に行ってもいたらしい。ところが亡くなる5日ほど前、急にお父さんは立てなくなる。治療をしていたとはいえ突然だった。お父さん自身、余命は5年ほどだろうと言っていたそうで、リミットがあることをわかっていたようだ。
「心構えは持っていたみたいでお手紙も書いてありました。遺言があるからねと言われていたんだけど、“お願い”というお手紙だった。パソコンで打たれたもので、本当にママを頼みますとか家族仲良くとか車は私の夫に任せるとかいろいろ書いてあって、最後に自筆のサインと印鑑が押してあった。遺言と言っていたから借金とか隠し子とか何か怖いことがあるのかと思ったけど何もなかった」。
手紙には、愛車の処理は堤さんのご主人に任せると書かれていたそうだ。自転車やバイクが好きなご主人であれば、間違った扱いはしないだろうという信頼もあったのだろう。堤さんとご主人の家庭にはトイプードルのアンディがいる。今回のTシャツはそのアンディの服となる。お父さんが家族みんなに配った、愛する車の描かれたTシャツが、十数年前にはまだいなかったアンディにまで行き渡ることになった。車に載せてもらったことはないであろうアンディは、どんな顔をしてこのTシャツを着るのだろうか。
--堤知美さんのドッグウェアが完成しました
堤知美さんのお父様の愛車が描かれたTシャツをループケアし、ドッグウェアに仕立て直しました。
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
聞き手: 山口博之
写真: 山田泰一
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商品毎に、1回分の無料修繕サービス(リペア券)がご利用いただけます。
完成品といっしょにリペア券をお届けいたします。